ここでは、高宮遺跡 について紹介します。

在所:高宮二丁目19

【ポイント】

①.この一帯では次のような発見がなされている

 ・縄文時代の土坑。

 ・飛鳥時代・白鳳時代の掘建柱建物跡、竪穴式住居跡などの遺跡。

 ・縄文時代前期末の土器、矢じりなどの石器類。

 ・古墳時代の須恵器の甕、土師器・瓦など。

➁.この地は古代氏族の支配が近代まで続いて、御祖神社以外の八幡宮、天満宮、春日神社などは見当たらない。

【関連写真】

 高宮跡地の児童公園2023_06_16 金只   案内板(高宮遺跡)2023_06_16 金只   

 高宮廃寺跡と高宮遺跡2023_06_16 金只   周辺配置図2023_06_16 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板(高宮遺跡)より

 高宮遺跡は、史跡高宮廃寺跡の西に広がる畑地で発見された丘陵上の遺跡です。この丘の上では、発掘調査によって縄文時代の土坑、飛鳥時代・白鳳時代の掘建柱建物跡、竪穴式住居跡などの遺跡と縄文時代前期末の土器、矢じりなどの石器類、古墳時代の須恵器の甕、土師器・瓦などの遺物が発見されました。

 なかでも、およそ1300年前の飛鳥時代から白鳳時代に属する多数の掘建柱建物跡は長く続く柵列の内側に並び、柵列の外側には約4m四方の小さな竪穴式住居跡が並んでいた状況は、古代氏族の屋敷と庶民の住居がこの丘に広がっていたありさまを示しています。

 この丘の上に生活を営んだ古代氏族が、まもなく氏寺として高宮廃寺(白鳳時代創建)を建立したものと思われます。

 また、丘のしたで、平安時代の井戸が発見されています。井戸は、クスの木を「コ」の字形にくりぬいて組み合わせたもので、内部から「保延6年」(1144)の年号が読み取れる墨書銘をもつ桶も出土しています。

 この公園は、発掘調査で発見された最も立派な柱穴を持つ、南北6m✕東西9mの掘建柱建物跡を保存したものです。

    寝屋川市

➁.現地案内板(高宮廃寺跡と高宮遺跡)より

 高宮廃寺跡は、金堂の前面に東西の塔がある薬師寺式の伽藍配置となる北河内を代表する古代寺院跡で国の史跡に指定されてます。創建は白鳳時代(7世紀後半)で、奈良時代(8世紀)にかけて営われた後、廃絶し、鎌倉時代に再建され、室町時代まで続いた寺院跡です。高宮廃寺を建てたのは、この地を治めていた古代氏族と考えられています。

 っこ高宮遺跡からは、縄文土器や古墳時代の須恵器とともに高宮廃寺が建てられる直前の時期の柵に囲まれた巨大な建物跡が見つかっており、古代氏族の居住地であったことが推定されます。

 この地に北河内を代表する古代寺院とこれを営んだ氏族、庶民の住居が広がっていたさまが偲ばれます。

    寝屋川市教育委員会