1560年に世良田村(現在の太田市)より利根川を渡り本庄の地へ。

新田家家臣の末裔であり利根川のネットワークで結びついていた仲間でもあった「花の木十八軒」と共に本庄宿に従事。初代草分け名主の家として神社仏閣の招聘を始め、町づくりの基本設計に携わり、幕府より特別に屋敷門として赤門を作ることを許される。

永禄3(1560)年に創業「埼玉県最古の企業」で、現在は陶器店を営む。
店側の奥に文書蔵(明治32)はじめ、安政期以降のいくつかの蔵や離れが連なり、中庭を持つ町屋形式で、規模は大きい。
かつては東側に、店内輸送のためのトロッコもあったという。井戸はレーザー計測(2018年)で深さ14m以上。