いとのかけはし について知っていることをぜひ教えてください
恋野小学校横を流れる去年川(こぞがわ)にかかる橋。 以前の橋は下流の県道にあり「絲の懸け橋」と書かれていたような…気がして調べてみると高野山麓橋本新聞(2013.10.2掲載)の記事に「絲の懸橋」とありました。 その記事の中に恋野地区長の辻本賢三さんが、「古い絲の懸橋は私が生まれる一年前にできたものでした」とありました。そんな風に覚えられているコトがいいですね。
●現在のいとのかけはし↓
http://www.hashimoto-kanko.com/koi-come/pg851.html
中将倉に隠れ住んだ中将姫が、里の人々に会いに去年川を渡るために懸けたとも言われています。 中将姫がこの里で「母様恋し、恋し野の、恋野の里や、雲雀山、雲雀の山に来てみれば、紅葉美しい母さまに 衣仕立て、贈らばや、天のみ国におわします。母さま どうぞ、私の切ない心をくみたまえ」と口ずさんだ事から、この里を「恋し野の里」と言うようになり「恋野」という地名になったと伝えられています。