橋本市指定文化財(第25号)昭和56年8月28日指定


旧高野街道 三軒茶屋大常夜灯籠
 高野街道は京都・大阪・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。

その後、御幸辻から南下して谷内川(橋本川)河口付近から紀の川を渡って当地に至り、学文路から高野山へ登っていく道がひらかれた。

この道は町石道に比べ距離も短くなったことから、室町時代後期には高野参詣はもっぱらこの道が用いられるようになった。
天正15年(1587) 応其上人(おうごしょうにん)は、紀の川に橋本の地名の由来となる長さ130間の橋を架けたが、紀の川増水により3年後に流出し、橋に代わって舟による横渡が行われるようになった。
この紀の川南岸渡場に建つのがこの大常夜燈籠で、後に北岸にも同様のものが建ち、この間で長く「無銭横渡」が行われた。
元は石燈籠2基が相対して建てられていたが、近年の周辺土地区画整理に伴う道路拡幅のため東側の1基が北へ約5メートル移された。

この石灯籠には宝暦2年(1752)の建立銘とともに「高野山興山寺領」の銘が刻まれ、紀の川を渡って高野山領に踏み入れた旅人たちの感慨が偲ばれる。

橋本市教育委員会・賢堂区 作成を引用