南海高野線の列車で、難波から橋本駅以南の山岳地帯に直通する電車のこと。
主に高野山への玄関口、極楽橋行の電車を指します。

1928年(昭和3年)~1929年(昭和4年)に掛けて、南海鉄道の子会社の高野山電気鉄道が極楽橋駅まで現在の高野線を延伸。
高野山電気鉄道は
デ101形・デニ501形(WikiPedia)を登場させます。
この線区の極楽橋寄りは、50パーミル(1キロで50m上下する)の急勾配で、車輪にブレーキパッドを接触させる空気ブレーキの場合、車輪の摩耗が起き、ブレーキが働かなくなる危険性があったため、日本で初めてモーターを発電し、架線に返す事でブレーキをかける「回生ブレーキ」を採用しました。

高野山電気鉄道デ101形(WikiPediaコモンズより)


高野山電気鉄道と南海鉄道は、1932年(昭和7年)に難波~極楽橋間の直通運転を開始。南海もモハ1251形(WikiPedia)という回生ブレーキ搭載の上、モーターもより強力(高野山が55馬力に対し、南海は120馬力相当)なものを搭載したものを作り、相互乗り入れを行いました。

戦後の南海電気鉄道発足に伴い、両線は南海高野線として統一され、やがて馬力の違いからモハ1251形が専属で大運転の運用に付くようになりました。その中から数両、クロスシートへの特別改装を受け、特急「こうや号」として華々しく使用されました。「こうや号」の1両には戦前に貴賓車として製造され、かの山本五十六も乗せたと言われる車両も特別車両として連結されました。

「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代初頭、車体長の15mから17mへの延長によるサービスアップと、静粛化・スピードアップを目論見、1958年(昭和33年)に登場したのが、初代ズームカーです。

初代「ズームカー」21001系(WikiMediaコモンズより)

「ズームカー」の言われは、2つあります。
1つは広角から望遠までサポートする、カメラのズームレンズのように大阪平野内の平坦区間では最高時速100kmの高速性能を(中百舌鳥駅から萩原天神駅までの間は凄く飛ばしていていました)、高野山寄りの山岳地帯では急勾配を克服する牽引力を両立するため、もう1つは航空機の急角度上昇を意味する「ズーム上昇」に例えたという説です。
この車両は、地上発電所が回生ブレーキの電力を受け取ることができなくなったため、代わりにモーターで発電した電力を熱にして捨てる「発電ブレーキ」を採用しました。

モハ1251形もスピードアップ改造をすることで、追随することができましたが、やがて車両のサービス格差と、南海鉄道線の架線電圧の600Vから1500Vへの昇圧のため、ズームカーに置き換えられ、姿を消しました。
なお、この途中で特急「こうや号」も新車に置き換えることになり、登場したのが「デラックスズームカー」です。その叩き出しで作った高貴な前面は「高野山の華」と呼ばれました。
(写真がないのが残念)

時代は下って、平成に入って在来ズームカーの置き換えのため、順次ステンレス車両の2000系が投入されましたが、1992年(平成4年)、急行が金剛駅に停車することで、2扉車で急行に使用されていたズームカーの混雑が激化。
また1995年(平成7年)の橋本駅までの複線化と大型車(21m級)乗り入れにより、17m級であるズームカーの存在意義が問われるようになり、2005年(平成17年)に合理化のため、橋本以南を2両編成で運転することとなり、合わせて高野山にあったイメージカラーとして2300系が登場。橋本駅で基本的に乗り換えとなりました。その後、2009年(平成21年)には、特別列車「天空」も登場。橋本~高野山間は特急「こうや」とともに観光路線に活路を見出しています。

現在のズームカーは急カーブに対応するため、車体も17m級と短い事ももちろん、現在鉄道車両では主流のボルスタレス台車を採用せず、かつ1983年(昭和58年)の30000系以降、カーブに強く京阪系列(特に急カーブ・急坂が続く京津線系統や、子会社の叡山電鉄)で多く見られる、ゴムで軸側を覆った緩衝ゴム式台車を採用しています。また橋本までの平坦線用と違って全車がモーター付です。

1時間に2本運転されていた「大運転」は特急「こうや」をのぞき、ほぼ過去のものになりつつありますが、高野山開創1200年の2015年、高野線も新たな活躍が期待されます。

現在の「ズームカー」
赤いボディが特徴の2300系。
橋本以南の主力
2000系。
橋本以南に入ることは少なくなり、南海線使用も多い
観光列車「天空」。高野山の「風」がデッキで楽しめる
(NY066氏:WikiMediaコモンズより)
※CC BY-SA 3.0