若宮 について知っていることをぜひ教えてください

  • 若宮権現が祀られていたことに由来する。治承4年(1180)に地頭の石田刑部が、鎌倉勢が軍神を祀り勝利を治めたのを機に、笠原庄に勧請されていた三社(伊豆、箱根、三島)を勝軍地である大北村に移したという説がある。その後、元暦元年(1184)に郡代の日野宗滋が大北村から島崎に三社を奉遷し若宮権現と称したとされる。

  • 奉遷した時が恰も元旦であったことから若水に因み若宮と称したという説もある。また、「権現の伝」には「若宮権現とあがめぬるより地名を替へぬよし」と記されている。

  • 文治元年(1185)に宗滋の子の宗忠が更に現在の地に移し、鉾持神社(鉾持権現)として祀られるようになった。若宮にいた日野源吾宗高が鉾の夢を見て文治3年(1187)に移したという説もある。

  • 御家中十六町のうち若宮町を含み、明治期より若宮町内名としても使用されている。

 

地域の教科書

【新撰高遠誌】
日影林を越えて尚西に進めば、北に突出したる一小藩邸が矩形をなしてある、此所は元突出したるより島崎と云うたが、鉾持權現を大北より此に遷し奉つた時、恰も一月一日に當つたから、若水など云う如く若宮と称し、爾来其名を襲いだのである。
【木の下蔭】
自分坂の下若宮侍屋敷の内西側南より二軒目今兵藤氏屋敷裏藤澤川へのぞめる峪に槻の木の大なる古木あり鉾持權現の神木にて祭事の日今も神職巫女向ふ河岸に御酒を備へて少しき神事ありいにしへ此所を嶋崎と云ふて三社をうつし若宮權現とあがめぬるより地名を替へぬよし權現の傳に見えたり