広小路 について知っていることをぜひ教えてください

  • 道幅の広い街路に由来する。藩政時代の保科家の頃は、市瀬勘兵衛の通い屋敷があったとされ、鳥居家の頃、浅田千蔵が住んだとされる。

  • 敷地には会所があったとされ、辻を挟んで北側の低い所に長坂の井いう名水があった。また付近には中井戸、塩噌倉井戸いう井戸があったという記録もある。

 

広小路の現在

 

【木の下陰】
同所今の廣小路は三十ケ年餘にも成りなんころまで屋敷は東向にひらき門北むきに横手に忍門ありて會所なりきこの屋敷保科家の頃市瀬勘兵衛といへる人市瀬に住居して此屋敷を通ひ屋敷に持けるとぞ其後鳥居家の頃は淺田千藏といひける人住むと言傳ふ此の屋敷ありける頃は馬場の侍屋敷への通路は横町今の潮田氏の屋敷脇に小路ありて通用し廣小路出来て今の道つきて横町の通路はやみぬ
同所番の際北側の角今日根野氏の屋敷壇ちがひのひくき所にある井戸は賤の女の舂挽うたに
 高遠よいとは誰がいひそめた水は遠くて長坂で

と唄ふは此の井戸なりとぞ