竹澤長衛 について知っていることをぜひ教えてください

  • たけざわちょうえ
  • 1889年(明治22)生-1958年(昭和33)没
  • 1889年(明治22),上伊那郡美和村戸台に竹澤兼松の長男として生まれた.兼松は,戸台で小松亀十とともに仙丈ヶ岳などの案内人を担っていたとされる.
    矢澤米三郎, 河野齡藏 共著『日本アルプス登山案内』,岩波書店,1920.7
  • 1898年(明治31),美和村戸台分校に入学し,1902年(明治35)に卒業した.
  • 1905年(明治38)まで昼間は農業や山仕事に従事し,夜間は分校の百瀬幸之助について論語近古史談,珠算などの教育を受けた.この頃から山案内人をはじめた.
  • 1909年(明治42),陸軍の第15師団のうち野砲兵第21連隊に入営した.この時の師団の参謀長は非持出身で同郷の伊藤瀬平だったと思われる,その後,千葉教導隊に派遣され,上等兵として初年兵教育にあたった.1912年(明治45)に除隊して,帰郷後,狩猟や山案内人を稼業とした.
  • 1916年(大正5),美和村溝口の中山弥八の長女しずゑと結婚した.
  • 1922年(大正11),7月に朝香宮が南アルプスを縦走した際にガイドをつとめ,8月に仙丈ヶ岳から赤石岳までの上伊那教育会自然資料調査研究の山案内人をつとめた.
  • 1923年(大正12),上伊那教育会自然資料調査研究のガイドとして,駒ヶ岳,鋸岳,横岳,入笠山まで縦走をした.調査には,八木貞助,横内斉,笠原政市.木下義男,黒河内浩らが加わっていた.
  • 1925年(大正14)3月,北岳の雪中スキー登山のガイドをつとめた.このパーティは第三高等学校のメンバーで,桑原武夫西堀栄三郎今西錦司,四手井綱彦,高橋賢治らがいた.
  • 1925年(大正14)7月,長野県知事の梅谷光貞を案内して,駒ヶ岳から赤石岳を縦走した.
  • 1925年(大正14),妻のしずゑが病死し,しずゑの妹のゆきゑと結婚した.
  • 1927年(昭和2),シナノトガリネズミ(シナノヒミズ)と北沢峠で採集し,八木貞助が研究し,公表した.
    清水書店 編『山は誘惑する : 放送山の講座』,清水書店,昭和10.
  • 1929年(昭和4),村会議員選挙に当選し,戸台組惣代も兼務し,戸台分教場の新築のために活動をした.1933年(昭和8)に村会議員に再選され,分教場の建築委員長を務めた.分教場は1934年(昭和9)に新築された.
  • 1930年(昭和5),北沢峠に長衛小屋(北沢長衛小屋)を独力で建設した.
  • 1931年(昭和6),北沢長衛小屋に1棟を増築した.
  • 1932年(昭和7),樺太東北山脈オキミ山の調査研究に従事した.
  • 1933年(昭和8),長野県観光山岳案内人となった.
  • 1936年(昭和11)の記録によれば,美和案内人組合の事務所は「竹澤長衛方」とされている.また長衛小屋は「北澤ヒュッテ」という名称も併用している.
    高日本社 編『観光信濃』,高日本社,昭11
  • 1938年(昭和13)7月,鳳凰山脈アサヨ(アサヨ峰)で遭難した東京市立京橋商業学校の先生1名と生徒4名のうち,生徒2名を救出した.先生1名と生徒2名は死亡した.この人命救助により8月に山梨県知事表彰を受けた.
  • 1941年(昭和16),仙丈ヶ岳のヤブ沢新道を開拓した.
  • 1942年頃(昭和17),名古屋の米国領事館で働いていた丸山廉と交流があり,特別高等警察からスパイ嫌疑がかけられたとされる.
  • 1943年(昭和18)7月,長衛小屋の西の岩の上に碑と供養塔を建て,自費で遭難者の慰霊祭を行った.
  • 1949年(昭和24),仙丈ヶ岳方面に北沢峠から大滝頭までの巻道新道を開拓し,かねてより提唱していた「女でも登れる仙丈ヶ岳」の地歩を築いた.
  • 1949年(昭和24),駒ヶ岳方面に北沢峠から双子山,駒津峰,六方石を経由して駒ヶ岳に至る縦走路を開拓した.
  • 1950年(昭和25),仙水峠で板状雪崩に遭い,右眼の下に棒が刺さった.三男の昭一(二代目長衛)に背負われて難を逃れ,非持の関口医師の手術を受け,一ヶ月入院した.
  • 1951年(昭和26),自費でオンドル式のヤブ沢小屋を新築した.
  • 1953年(昭和28),南アルプス開発の観光功労者として,長野県知事表彰を受けた.
  • 1954年(昭和29),南アルプス開発の功労に対し,静岡鉄道管理局長表彰を受けた.
  • 1954年(昭和29),仙丈ヶ岳方面に歌宿沢出合から馬の背までの歌宿道を開拓した.弟の友幸.長男の重幸,三男の昭一とともに開拓した.洪水で戸台河原の橋が流失した場合の迂回路として,戸台川左岸の巻道もこの年に開拓している.
  • 1954年(昭和29)7月10日,第2回南アルプス遭難者慰霊祭を自費で行っている.慰霊祭では戦後の南アルプス北部の遭難者11名の霊を慰め,遺族,友人,仏教会6名,上伊那地方事務所,営林署,美和村,観光関係者など40名ほどが参列した.
  • 1955年(昭和30),美和村村会議員に3回目の当選を果たした.
  • 1956年(昭和31)6月,戸台の丸石で脳溢血により倒れた.
  • 1956年(昭和31)9月,中部日本新聞の中日社会功労賞,勤労賞を受賞した.
  • 1958年(昭和33)3月10日,戸台の自宅で死去した.
  • 1958年(昭和33)9月21日,竹澤長衛翁記念碑除幕式が行われた.

 

長衛小屋付近にあるレリーフ(瀬戸団治作)(2023.06.17撮影)

 

【参考】

上伊那郷土研究会『南アルプスの主竹澤長衛』1960
松尾修『竹澤長衛物語 南アルプス開拓の父』山と渓谷社,2012