大丸 大麻止乃豆乃天神社      大丸の社寺・仏閣へ戻る

ごく小さな社であり由緒ははっきりしないが、『式内社調査報告』では、『延喜式神名帳』に記載される武蔵国多摩郡「大麻止乃豆乃天神社」が当社であるとしている。しかし、式内・大麻止乃豆乃天神社については東京都青梅市の武蔵御嶽神社も論社となっており、明治初年には武蔵御嶽神社が大麻止乃豆乃天神社と称していた。

なお「おおまとのつ」とは「大きく丸い平地にある船着き場」という意味ではないかと考えられている[1]。実際、この神社の神域に隣接する普門禅庵の前の低地の旧地名は「イリガタ」であり、天神山と城山(室町時代の砦の遺構あり)に挟まれた古多摩川の潟湖であった。

この神社が立地する稲城市大丸という地名も、「大きく丸い平地」という意味であるとされるが、この地は古代から多摩川の渡河点の一つ(府中街道と川崎街道がここで合流する)であり、津があったと考えるのは妥当であろう。ちなみに前出の城山も、多摩川の渡河点を押さえる目的で築かれたと考えられている。

 

祭神

祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)とされている。記述のようにこの神社は、そもそも由緒が知られていない古社であったが、やはり『延喜式神名帳』に記載されている大和国十市郡の天香山坐櫛眞命神社(現 天香山神社)に「元名 大麻等乃智神」との注記があることから、当社も天香山神社と同じ祭神であろうと考えられたものである。江戸時代までは丸宮明神(まるみやみょうじん)と称していたが、これは「麻止乃宮明神」が転じたものという説もある。

多摩丘陵中部の北辺に位置し、境内からは多摩川中流域の沖積地が一望出来る。境内の裏山はかつては城山と呼ばれ、中世には大丸城という山城が築かれていたが、現在は多摩ニュータウン向陽台住区となっている。参道の両脇には円照寺、直心庵という仏教寺院があり、境内の北側にはやはり普門禅庵という仏教寺院がある。

境内社の合祀 白山神社・神明神社・稲荷神社と、津島神社(旧 牛頭天王社)、秋葉神社、不明の祠などがある。

 

境内社の合祀 白山神社・神明神社・稲荷神社、津島神社、秋葉神社、牛頭天王、などなど。

キャプ本殿裏、山中の境内社 神明神社は大丸7-810に鎮座していたもの

末社 大久保稲荷神社 明治6年に合祀

本殿東脇の大久保稲荷神社は大久保家の鎮守を明治6年に合祀したという。   

 

合祀 境内社 左から  白山神社、神明神社、 稲荷神社

本殿東側の覆殿合祀社、中央 ・神明神社 ・左側 ・白山神社は大正4年に合祀、右側 ・稲荷社はそれ以降に合祀。・白山神社は大丸7-877に鎮座していたもの。右側の・稲荷社は入方の旧 医王寺持ちの社殿を合祀。

境内社 津島神社(牛頭天皇を奉っていた)

本殿右、境内社 秋葉神社

 更に右、合嗣 境内社秋葉神社横 稲荷社