富田川 について知っていることをぜひ教えてください

富田川の下には、伏流水が流れています。

そのおいしい水をかけ流しして育てている熊野水産(株)の「くまのあゆ」は、スイカの味がするといわれています。

食べると素人でもわかります。びっくりするほど臭みがないので、今まで食べられなかった人でもおいしいといいます。

 

熊野水産(株) 鮎の養殖所

■ 富田川の歴史

 ・ 明治の大洪ずい 彦五郎堤防(人柱)

 ・ 富田川に架かる橋 ‐ 郵便橋 生馬橋 岩田橋 一ノ瀬橋、(潜水橋 2つ)

 ・ 養殖(熊野水産) 鮎つり 藻くずかに うなぎ

 ・ 支流 ‐ 生馬川 岡川 温ま川

 

 富田川(とんだがわ)は、和歌山県南部(南紀)を流れる二級水系の河川。和歌山県内唯一のダムの無い主要河川である。

 1.地理

  果無山脈の安堵山(あんどさん、標高1184m)に源を発して概ね南西方向に流れ、白浜町富田で太平洋(紀伊水道)に注ぐ。沿岸の大半は山林で、下流河畔にわずかに平野を形成する。河口北側は富田の浜に接している。

 中流部から国道42号が河口近くまで併走、ほぼその地点から国道311号が上流向きに併走する。JR紀勢本線は河口で横断する。かつての幹線であった熊野古道は中辺路が並走し、下流部では同じく大辺路が横断する。

 やや広い河原を持つが、水量は不安定で中流域は時折渇水する。

 下流の白浜町富田地区には国の天然記念物「オオウナギ生息地」がある。

 <河川情報>

水系 二級水系 富田川
河川種別 二級河川
延長 41㎞
水源の標高 1,184m
平均流量 --㎥/s
流域面積 247㎢
水源 安堵山(和歌山県)
河口・合流先 太平洋(和歌山県)

 

 流域の自治体

  和歌山県 田辺市、西牟婁郡上富田町、西牟婁郡白浜町

 

 富田川周辺の道路

  国道311号(通称「中辺路道」)

  国道371号

  国道42号

                                      (ウィキペディアから引用、紀州郷土学チーム上富田)

 

 

 

№ 市町村名    橋梁名             備考     年号 

1 白浜町富田   紀勢大橋(きせいおおはし     JR鉄橋  

2 白浜町富田   富田橋 (とんだばし              S52.3 

3 白浜町内ノ川  白鷺橋 (しらさぎはし             S53.7 

4 白浜町保呂   平橋    (たいらばし       通学橋    S58.8 

5 白浜町富田/上富田町岩崎  郵便橋(ゆうびんばし        H9.12 

6 上富田町生馬  山王橋 (さんのうばし      潜水橋  

7 上富田町生馬  生馬橋 (いくまばし              H12.1 

8 上富田町岩田  岩田橋 (いわたはし              S42.3 

9 上富田町岩田  畑山橋 (はたやまばし   

10 上富田町市ノ瀬  市ノ瀬橋(いちのせはし           H20.11 

11 上富田町下鮎川  加茂橋(かもばし              S45.6

12 田辺市鮎川   鮎川新橋(あゆかわしんはし          S47.3 

13 田辺市鮎川   宇立橋(うだつはし        流れ橋  

14 田辺市鮎川   能越橋(のごしはし               S50 

15 田辺市鮎川   蕨尾橋(わらびおはし              S52.6 

16 田辺市中辺路町北郡  北郡橋(ほくそぎばし   

17 田辺市中辺路町真砂  真砂大橋(まなごおおはし         S52.6 

18 田辺市中辺路町滝尻  滝尻橋(たきじりはし           S59.9 

19 田辺市中辺路町鍵平  平原橋(たいらばらはし          H11.12 

20 田辺市中辺路町鍵平  原之瀬橋(はらのせはし          S57.7 

21 田辺市中辺路町上芝  冨源橋(ふげんばし            S47.12 

22 田辺市中辺路町川合/向田 五味橋(ごみばし           S49.5 

23 田辺市中辺路町川合/大川  二川橋(ふたかわはし        S54.5 

24 田辺市中辺路町大川   大川橋(おおかわはし          S56.8 

25 田辺市中辺路町大川   小畑橋(おはたはし   

26 田辺市中辺路町大川   大川宮前橋(おおかわみやまえはし   

27 田辺市中辺路町大川   三善橋(みよしはし           S50.1 

28 田辺市中辺路町福定   福定橋(ふくさだはし          S62.9 

29 田辺市中辺路町福定   上福定橋(かみふくさだはし            S52.3 

30 田辺市中辺路町兵生     つり橋(挧合橋下500m)   

31 田辺市中辺路町兵生      挧合橋(とちごうはし   

32 田辺市中辺路町兵生      つり橋(小越の瀬)おこごしばし   

33 田辺市中辺路町宮代      宮代橋(みやしろばし   

34 田辺市中辺路町兵生      兵生橋(ひょうぜばし   

35 田辺市中辺路町兵生   橋(林道滝の口支線) 

                                          (富田川治水組合 から引用

 

 

 

■ 彦五郎堤防の成立

市ノ瀬不動の尾山足を切り取り、川替えしたと言われる登り尾市ノ瀬不動の尾山足を切り取り、川替えしたと言われる登り尾『松のみどり』(中松康弘家文書)と(木村善明家文書)は、山本主膳四代目城主大富殿による、富田川の流路の付け替え工事のとき市ノ瀬字不動の尾山足を切り取ったとあり、市ノ瀬村畑山、岩渕から岩田村大坊、片井へと流れて、さらに朝来村清水、梅田を流れて大沼に至る。大沼で湾曲して塗屋へ流れ、岩崎村の不動から北富田村保呂、内ノ川へと流れていたと記している。いつの話であるのか明らかにはできないが、宝暦年間(一七五一~六四)から数えて一八〇年前に工事がなされたという伝承があるという(上田萬一「彦五郎堤の歴史的意義」)。この伝承を肯定すると、逆算して元亀二年(一五七一)~天正一二年(一五八四)にあたる。紀州攻めをした豊臣方の杉若氏に攻められて、山本氏は天正一五年(一五八七)に滅亡するが、滅亡する少し前に富田川流域を支配する領主として、富田川の流路の付け替えに取り組んだということになる。現在の川の流路にどのようにつながっているか、まったく不明であるが、富田川の川の付け替えの年代について注目しておく必要があろう。           

 さて、慶長六年(一六〇一)の検地によると、朝来村の村高は一六八五石六斗八升五合で、一四四町二反七畝二六歩の面積である。また元禄期の新田高は八石七斗二合六勺、面積は一町五反二歩である。慶長検地以後朝来村ではほとんど新田畑の開起がおこなわれていないのである。もしも一七世紀中ごろに富田川の付け替えがおこなわれ、彦五郎堤もつくられて現在の流路のようになったのであれば、それまでの流路跡などの河川敷の新田化がすすめられれ、新田がもっと増加しているはずである。朝来村に新田が少ないことは、慶長期にはすでに強固な堤防も築かれており、現状に近い景観になっており、新田開発の余地がなかったと考えられよう。

      以下略

      (上富田町HP 上富田町文化財教室シリーズ  藩政時代の水害と治水 富田川の災害と治水(その1) 彦五郎堤防の設立 から 紀州郷土学チーム上富田)


ここから熊野高校生が作成しました。

和歌山県南西部を南西する川。奈良県境の果無山脈の安堵山源を発し、白浜町富田で太平洋に注ぐ。流水面積は247㎢で水源標高は1184mの二級かせんである。二級河川とは、都道府県知事が指定管理する河川のことである。かつて、富田川は暴れ川と呼ばれていた。一瀬戸王子周辺の市ノ瀬区の富田川川床には450年も前の河川改修の圧が残っています。

感想

富田川には、35個の橋が架かっているみたいです。興味のある人はぜひ35個の橋に行ってみてください。富田川の近くでは、夏に友遊フェスティバルも開催されています。よさこいや花火など、たくさんの催し物があり毎年盛り上がります。

 

 

 

 

上富田を流れる川

Add new "川"