朝来峠地区の国道四二号沿いにある峠地蔵に、町内では大型の石地蔵が安置されています。堂内に保存されている弘化四年(一八四七)の由来記によれば、享保五年(一七二〇)の頃、付近の七右衛門谷で農夫の鍬(くわ)の先に当たってこの地蔵尊が発掘され、道の傍に一堂を建て安置して以来、里人等の香華が絶えず、病苦を救い受難をしりぞけ、霊験が多かったとあります。  また不思議なことに、この地蔵尊の前を馬に乗って通ると、馬が動かなくなり、落馬することもあって、馬上の通過はやんだといいます。  像容は延命地蔵で、台座に「千時享保五子三月吉日念仏講中」の銘があり、前述の由来記と異なり、享保五年(一七二〇)に地元の念仏講仲間が創立したものです。岩田の三宝寺にも享保年間の念仏塔があり、そのころこの地方に念仏講が盛行したことを物語っています。