海南市小野田にある神社で、頭部を祭ると言われている。
地元では「おこべさん」と親しまれ、頭の神様として受験生をはじめとして多くの崇拝を集めている。
■名草戸畔伝承との関係
日本書紀
紀伊国に迂回した時、天皇の兄・五瀬命が雄水門で雄叫びをあげられた後、
竈山の地で薨去される。次いで、名草邑で名草戸畔を誅する。【神武東征】
現在の和歌山市と海南市の一部はかつて名草邑(ナグサムラ)と呼ばれ豪族の名草戸畔(ナグサトベ)
によって統治されていた。
九州を勢力下に収め、各地を平定していった東征軍に
名草戸畔は随順せず、東征軍との死闘の末、討伐された。
名草戸畔はその後頭、胴体、脚部を分断されそれぞれ、宇賀部神社、杉尾神社、千種神社にそれぞれ埋葬されたといわれている。
宇賀部神社は名草戸畔の首級を当社で祀っていると言われ、古くから頭の守護神として、「おこべさん」の愛称で広く親しまれている。