2021年01月22日 菱野の里にて1 菱野へ 菱野健功神社 について知っていることをぜひ教えてください

「オコジョの散歩道」のブログが2021/03/31で閉鎖されてしまうとのことで、その中からオコジョさんのご了解をいただき、転載させていただきます。

菱野の里にて1 菱野へ 菱野健功神社 [arc]


少し前に菱野の不動滝をアップしましたが、季節の話題ですのでスピーディーにしました。折角山麓から山腹へ登ったのですから、それだけで帰れないですね。車ならまた来ればですが、自転車なので苦労してまた来るのは大変と・・・

菱野へと登ってきて、旧菱野村に入りました。もっとも、菱野村だったのは明治8年(1875)以前ですが、その後、菱平村、大里村、小諸町、小諸市と小諸市と変っていきましたが・・・

その途中から菱野の村を潤してきた栃木川の谷を見下ろします。

富士見城の有った飯綱山・・・

ここで浅間山を見るのもいいかなと思っていたのですが、Facebookで、氷瀑の写真を見て菱野の滝を見に行こうと・・・

浅間山麓はどこもこんな棚田ばかりです。

浅間サンラインが近づくと菱野の里へはもう少しです。

菱野の里からの浅間山も立派です。

菱野の中之久保地区・・・
ちょっと自転車を降りて双体道祖神に 御挨拶・・・
中之久保は下からは下村、中村、入村と坂を上って行きます。

 

下村の道祖神

摩耗が激しく、細かいことは判りませんが、宇宙人が並んでいるような・・・
男神の左手は女神に手を伸ばし、女神と男神の左手は手をつないでいるような、女神が男神の手首をつかんでいるような、意味深長な感じもあります。
それ語五穀豊穣を願った表現なのでしょうが・・・

 

中之久保から西久保に移動しました。

集落の屋根の向こうの中之久保との尾根の上から浅間山がそっとのぞいていました。

西久保の道・・・

狭くて急な道です。

この辺りの小字は宮ノ前というようですが、宮の下ではないかと・・・
現代の人々は平らな日当たりのいい場所に家を建てたがりますが、昔の農村では、そういう場所は田畑になり、耕作に適さない場所に家を建てて住みました。
それが暮らして行く、いいえ生きるための知恵だったようです。

坂の一番上は菱野健功神社(ひしのけんこうじんじゃ)・・・

「けんこう」なんて、病にご利益がありそうな・・・
健康ではなく健功ですね。この健は諏訪大社の神の健御名方命(たけみなかたのみこと)のことです。そしてその兄の事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀っています。

鳥居には諏訪宮とありますが、宝暦5年(1756)諏訪神社として創建、諏訪大明神と呼ばれたそうですが、安政3年(1856)にろ、いまの名前に替えたそうです。明治以降の合併で村内に同じ名前の神社はまずいと、名を変えた神社が多いのですが、ここはわりと早い頃に名前を変えたようです。

以前は茅葺屋根の拝殿・・・
江戸時代の建物ですね。

ここの宮司さんは、小諸宿の与良蛭子神社の神官でもあり、毎年えびす講にはお祓いを受けています。もうだいぶ前になりますが、佐久市で私の従姉の葬儀の時は、新海三社神社の神官とともに神葬祭で送って頂きました。

神社前にあった如意輪観音の石仏です。

十九夜の供養塔でしょうか。素朴で優し気でした。
この郷の女性たちを守ってきた仏さまのようです。

福寿草が開きかけていました。我が家は日影に近いせいか、まだ顔を見せていません。
もうすこしたてば開くかな・・・
それまで待てませんが・・・

でも日影はほんの少しですが、雪・・・
これがこの地方です。

もう少し上に行こうと、こんな道・・・
急なので一息入れて・・・

青い空に向って登りました。


 

(2021/02/09 土屋記事転載)



 

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