林班とは、施業案を編成する際に、国有林を管理しやすいように区割するのですが、その分割単位を林班と言います。起源は以下の法令です。

明治9年3月 官林調査仮条例

・林区番号を付けること。

・林区は実地の景況により、谷筋峰界字限等を以て適宜定める。

明治19年 施業諸表説明書

・区割名称:郡・町村・分担区・林班・小班・摘要を記載すること

明治32年9月 国有林施業案編成規定 

・区割:事業区/林班/小班を設けること

 

まず、明治9年に、それまで放置されていた官林を管理するための調査が始まります。高野山の場合は、高野村の26字に番号を振って、1~26区として管理されます。次に明治37年に施業案編成の際に、より現実的に伐採などの計画を立てやすいように、面積や林相を考慮して、26区を分割・統合して1~44林班に細かく区割りされます。高野事業区は、伊都郡と有田郡の国有林を事業区範囲とし、高野山国有林は、1~44林班に区割り管理され、更に林班をいろはなど小班に適宜分割管理しました。

例えば、極楽橋駅の住所は、高野町高野山国有林第8林班ですし、相ノ浦浄水場の住所は、高野町高野山国有林39イ林小班となっています。

ですので、明治41年度大阪大林区署統計書には、新しい呼び名の26林班、古い呼び名の24区、更に大元の字名(金時橋や森ノ奥)が混在しています。