現在は、真田庵の境内にある。

元は郵便局舎にあり、棕櫚の木と児の手柏の木の間にあった大きな自然石が『目神様』

眼病平癒の神様である。

【出典】改訂 九度山町史 民俗文化財編(平成16年12月28日発行)600ページから抜粋

■寺の中に神様がいるのは奇妙な話だが、この岩は真田家の先祖が天皇家がルーツであるという

下記のようなわかりやすい作り話を具現化したものと考える。

つまり清和天皇の第4皇子貞保親王が目を患い信濃国浅間温泉で療養した時に地元の娘と結ばれたのが

真田家のルーツという話。これが伝承されているが、貞保親王が長野へ行った記録はなく作り話と思われる。

実体は古くは百済王の外戚であった真氏(チンシ)で平安時代の初期に天皇の計らいで

北信濃や東信濃へ渡来した朝鮮人帰化人に海野、ねづ、望月という称号を与え姓を滋野と称したのが

史実だ。関ヶ原の戦いの後、昌幸に帯同した真田家家臣の住まいに隣接した位置にある

郵便局の朱牢(真田の牢屋)の横にあったとは意味深。