時代関係
中将姫
747年に生まれ、775年没する。
弘法大師匠(空海)
774年に生まれる。
高野山開創
816年(高野山町石道も同年頃に開かれたと考えられる)
上記時代から考えると「糸の細道は高野山町石道より古い道」となる。
糸の細道ルート
古都・奈良から南下する道(中ツ道、下ツ道)で、栄山寺を経て、紀の川(吉野川)の河南道路となり、阪合部~恋し野の里~学文路~九度山~天野~有田~熊野街道へと続く道
【聞き取り内容】
糸の細道は、高野山町石道の一部と重なる部分があるという方が居る。
仮説を立ててみた
時代関係・ルートや聞き取りから考えられる仮説として、弘法大師・空海が開いたされる「高野山町石道」は空海が高野山開創の際、既に存在していた「糸の細道」を改良した道ではないのか。。。
糸の細道(入郷~慈尊院) について知っていることをぜひ教えてください