高野山森林鉄道にはインクラインという装置(正式名は制動斜面)が設けられました。

 基本的にはケーブルカーと同じです。2台のトロッコをケーブルで結び、1台は山上に、1台は山麓に配置します。山上側に木材を積んだトロッコを置くと、自重で下って行きます。このとき、山麓側の空のトロッコが曳揚げられます。下る側に制動装置があれば、動力装置なしで木材を降ろすことが出来ます。線路は完全に複線化したものもありますし、上下からやってきたトロッコがすれ違えるように、中央部分だけ複線化したものなどがあるようです。

 高野山には、軌道のインクラインが三カ所、木馬道のインクラインが一カ所の写真が残されています。この内、場所も明確に確認されているのは、軌道の2か所のみです。まず、その二カ所をご紹介します。

 

「神谷インクライン」

 浦神谷-神谷間の斜面に大正2年に設けられました。これにより、高野山森林鉄道全線軌道化が実現します。「高野山国有林 高野営林署編 昭和2年発行」に詳しく解説されています。一部抜粋・要約します。

 神谷制動斜面の構造及操作

 高野村大字西郷字神谷宿の東南約200mにあり。平均勾配2.01分1、延長295m、軌道2尺6寸、軌道18封度複線、直径8分の鋼鉄索(19本撚り6個合わせ・中心に麻を有す)。斜面上では、木材を積んだ台車(2連結の場合、総重量は鎹カスガイ荷〆縄込みで約5トン)を結び、他端は斜面下で空台車(2連結の場合、鎹カスガイ荷〆縄込みで約0.5トン)を結ぶ。荷積台車と空車の受け払い及び機械運転に1名、雑役1名の2名で運行する。運行時間は片道約5分。

 

                                                                                                                  

  出典:和歌山県木材史(和歌山県木材協同組合連合会編 平成5年発行)    出典:国有林野事業特別経営業務記念写真帖(農商務省山林局編 大正11年発行) 

                                              

  出典:web地理院地図 空中写真 USA-M500-51 1947年米軍撮影      

 

「巻揚げインクライン(36林班)」

 昭和3年に、内燃機関車が導入され、それまで牛曳きトロリーで急勾配を登っていた所(39林班)が、勾配が急すぎて機関車では登れないため、ルートが改良されます。新たに導入されたのが、上記の神谷とは逆の、木材を引揚げるためのインクラインです。大阪営林局機関誌「みやま」の巻頭口絵に写真があるのと、集材機導入試験時の報告に比較対象として掲載されているだけで、神谷インクラインのような詳細情報は、まだ発見に至っていません。

 

      

   出典:大阪営林局機関誌「みやま」昭和4年度発行              出典:web地理院地図 矢印・太文字は筆者記入

     

 

場所が特定されていないインクライン 一カ所目

 まず、写真をご覧ください。

出典:和歌山県木材史(和歌山県木材協同組合連合会編 平成5年発行)      出典:高野営林署の歩み(和歌山森林管理署高野事務所編 平成13年発行)

 

 まず、左側の写真から

 まるでスイッチバックのようなルートです。伊都橋本木材誌(伊都橋本木材協同組合編 昭和61年発行)にも、全く同じ写真が掲載されています。キャプションは、「手乗り下げ手法の運転で森林軌道を下るトロリー(大正10年)」と異なっています。和歌山県木材史が遅れて発行されていますので、木材誌に書かれた「大正10年」のキャプションを、木材史が「明治40年」に変更したことになります。その理由や出典は記載はされていません。

 これまでの調査結果では

 ・国有林野事業特別経営業務記念写真帖(農商務省山林局編 大正11年発行)に掲載されているのは、神谷インクラインのみ。

 ・「高野山国有林」昭和2年版./昭和18年版共に、神谷インクラインのみ紹介されている。(巻揚げインクラインは両誌の丁度ハザマになっているので紹介されていません。)

であることから、築設は昭和2年以降、更には昭和18年以降の可能性が高いと考えています。そして、「高野営林署直営生産事業概況書 昭和26年・29年」に以下の有力な手掛かりがありました。

 ・作業軌道 昭和25.26年度新設 18林班 複線350m(内200mインクライン)

 ・上記軌道450m 昭和28年の豪雨で流失

とあります。確かに昭和38年の空中写真でも、18林班の奥に崖崩れの痕跡が残っています。(因みにこの空中写真には、現鳴戸川林道は写ていません)。作業軌道は、毎年度の作業費から費用が出されるので、会計が異なる、減価償却される林道台帳には載らないため、これまでスポットが当たらなかったのかもしれません。しかし、最有力な候補ではありますが、まだ確証は得られていません。

 

場所が特定されていないインクライン 二カ所目

 これもまず、写真をご覧ください。

         

       出典:高野営林署の歩み 平成13年発行 和歌山森林管理署高野事務所編

 右側の「急傾斜地を木馬のインクラインで」です。この木馬のインクラインの場所が判りません。たった一つの手がかりが「高野山国有林」昭和18年版です。該当箇所を引用させて頂きます。

「(前略)移動軌道の延長又は木馬インクライン等を利用して可及的木寄距離の短縮を図り(後略)」

「木馬インクライン」が出てきます。一次資料の中で、この言葉が出てくるのは唯一ここだけです。「高野経営区 第七次経営案説明書 実行期間 昭和27-36年度 高野営林署」「高野営林署直営生産事業概況書 昭和26年・29年」の木馬道を見ますと以下の通りです。

・昭和7年度 3林班線 幹線林道神谷-3林班内 

・昭和14年度 25林班線 幹線林道土場-25林班内

・昭和14年度 御渡川線 30林班-39林班

・昭和17年度 2林班線 森脇林道-2林班内

昭和14年度や、特に昭和17年度に開設された路線が、写真の木馬インクラインの候補となると考えられます。但し、昭和18年から26年の間にルートが廃止されていれば載っていないのですが・・・。

また、移動軌道=作業軌道と考えています。軌道本線から分岐して、木寄せ場まで一時的に敷設したのでしょう。

誰か情報お持ちではないでしょうか。

 因みに、左側の写真ですが、上の「高野山新インクライン」の写真と比べるとそっくりです。でも、よく見比べるとトロリーの位置が違うので、同じ時に撮影された何枚かの写真から別々に選ばれたのではないかと想像しています。

 

2020年6月

2021年6月改訂