新たな関係構築への第一歩

石巻のみなさんと、東京の技術者が一堂に会して

 

 

情報交換会の最後は、「ニーズの変化と街の復興に向けて」と題して、地元の方々、地元に入って支援活動をしている方々、東京から参加したIT技術者などによるディスカッションを行いました。新たなつながりが生まれるなど、限られた時間の中で濃い内容の会議となりました。

支援を受けるだけじゃなくて、支援してくださる方のお手伝いをしたい

斎藤敏子氏(石巻を語る女性の会、観光ボランティア協会)

 

斎藤敏子さん

私は石巻を語る女性の会と石巻観光ボランティア協会で活動しております。全国から来られる方々に震災当時の様子をお話ししながら日和山をご案内するということを6月の後半から9月の頭までやっておりました。この「復興ツアー」は「ボランティアは出来ないけど、現地に行って買い物するだけでもお手伝いさせて」というお客様からのご発案でした。当初は被災された方のところをご案内するというのは好ましくないのではないかと大変悩みました。

 

しかし、よく考えてみると、こんな災害にあったことをテレビやネットだけに任せていいのか、生の声をお伝えしたほうがいいのではないかと考え決断しました。これまでに、延べ約1,300人の方をご案内させていただきましたが、いらっしゃった皆さんにはお食事やお土産で石巻の復興のお手伝いをしてほしいとお願いしています。



 

光江弘恵氏(ソシオキュアアンドケアサポート)

先ほど私の発表について斎藤さんから『支援を受けるだけじゃなくて、私達もお手伝いしたい』と伺い、大変心強く思いました。今後ともよろしくお願いいたします。石巻に来たときはいつもお土産を買って帰っています。

ネット上だけじゃないコミュニケーションを

~仮設にも、自宅にもいろんなメディアを駆使して情報共有を~

庄司昌彦氏(国際大学GLOCOM)

町内会長の岩崎さんとボランティア協会会長の宮川さんから、仮設住宅に入っている人以外にも多くの人が困っているというお話を聞きました。仮設住宅に地域の情報を掲載した独自の新聞が配られているという話がありましたが、在宅避難している方には届いていません。いろんな形で配ることはすぐにできると思うのです。また、被災地に対する取材についても光が当たっている場所に濃淡があります。ITにできることがたくさんあると思いました。

岩崎傑氏(千石町内会長)

千石町は石巻のなかでも高齢化率が高いです。震災当時、避難所などではいろいろとサポートがあったのですが、自宅に戻ると孤独感が突き上げてくるようです。商店街もひどい状況ですので、買い物の問題や、孤独死させないようコミュニケーションをとることなどが今後の課題です。先ほど庄司さんがおっしゃったように、情報を共有する必要があります。インターネット上だけではなく、新しいメディアが町の中心に必要なのではないでしょうか。

冨樫俊和氏(Hack For Japan)

インターネットをどう使っていいかわからないというお話がありました。娯楽、コミュニケーションなどいろんなとらえ方があると思うのです。たとえば太田さんとはさきほど初めてお会いして名刺交換したのですが、前からFacebookでやり取りしていたので距離感が近づくのがすごく早かった。そういうことにも役に立てると思うのです。岩手で作った仮設のインターネットカフェも、さまざまなツールを利用する前段階として、どんな形でも、まずインターネットに触れてもらう機会を作りたいという想いで協力をしています。

被災地からの情報発信の体制を造りたい

~地元のひとだけでは難しいこと、言いにくいこともある~

中川政治氏(石巻災害復興支援協議会)

情報発信は本当に課題です。遠野まごころネットのウェブサイトを見たときは、とても素敵なサイトだと思いました。確実に東京の人が作ったに違いないと(一同笑い)。外向けに情報を発信するのは地元の人だけでは難しいこともあります。ボランティアベースでは難しい場合もあります。発信すべきいろんな情報があふれているのですが、これをどうやって出していけばいいのか考えられる人がいたら全然違います。

せっかくボランティアが10万人も訪れて、家の泥かきをして、それぞれの人がつながっているんです。今からでは誰も作れないような信頼関係があるのに、このままなくなってしまうのは惜しい。このネットワークが被災地の復興につながるようなものになっていって欲しいと思います。

及川卓也氏(Hack For Japan)

情報発信については、福島でも同じことを言われていて、どうやってネタやトピックスを集め、どのように加工して、どのような受け手を想定して作っていけばいいかが問題になっています。

GoogleがPerson Finderを出した時に高い評価をいただいたのですが、実はPerson Finderに直接入力した、見たという被災地の方は少ないと思います。たとえば首都圏の親戚の方が入力されたり、避難所に張られていた紙の情報を5,000人のボランティアが入力したりしました。こういったアナログな部分もコミュニケーションにはあるのです。インターネットを非常に柔軟性のある使い方ができるものとしてとらえていただければと思います。


もっと分かりやすく

 

~文字を大きくしたり、高齢者に分かりやすくしてこそ~

小野寺光雄氏(商店街会長、飲食店経営)
 

ITの話はなかなか難しくて付いていけませんが、少し商店街の復旧復興について述べますので参考にしていただければと思います。私自身被災した一人で、自分の店はまだ営業できません。そんな中で、商店街の会長という立場もあり、商店街の復興のために活動しました。最初の2か月間は、流れてきた瓦礫を燃やして暖を取り、お寺で米をいただいたり、炊き出しをしたりの生活を続けました。食べることしか頭になかったんですね。お店のことは頭に無く、従業員の生活をどうするかばかり考えていました。

 

電話、電気、ガス、水道は2か月不通で、テレビを見たのが2か月半後ですから情報がまったく手に入らない状況でした。新聞とラジオだけが情報源でした。今でも自宅ではインターネットが見られません。でも、地域に住んでいる人の生活に情報は必要不可欠なんです。

 

IT企業の皆さんには、地域の情報をもっとわかりやすい形で共有したり、何が欠けているかということを住民に訊いたり、石巻についてもっとわかりやすい方法で発信していただいたりと、やっていただきたいことはたくさんあります。それから、高齢者を意識した文章のつくりかたや、文字を大きくして欲しいというのも私からのお願いです。今はピースボートの山本さんの支援を受けて頑張っております。ありがとうございます。商店街の復旧復興だけでなく、石巻全体を一生懸命アピールしていただきたいと思います。5年あってもしゃべり足りないのでこの辺で終わります。話しながら自分でもわかったことがあります。ありがとうございました。

山本隆氏(ピースボート災害ボランティアセンター)

小野寺さんありがとうございます。嬉しいです。私たちも9か月働かせていただいて、地元の人とこうやってつながれたこと、これが一番の財産です。私たち自身もたくさんのことを伺っておりますので、これを外に情報発信していくことに大きな責任があると思います。今後、この分野の活動を強化していきたいと思います。

伝えたいことを知りたい人に届けたい

~現地で情報を集めたり、現地が直接発ししたり、マスコミを利用したり~

渡部智暁氏

震災当初、避難所では物資をもらえましたが、在宅で被災された方々は物資をもらえないという問題がありました。このことは当時、マスメディアにはほとんど載っていませんでした。私が個人のブログに載せたところ、3万アクセスありました。現地で情報を集めることをしないと、情報を伝えるツールだけあっても中身がない箱です。以前30台近いストーブを配ってくれた団体がありました。しかし、やっと再開した地元の電気屋さんのストーブの予約がキャンセルされてしまいました。我々は地元のお店からストーブを買って配りました。こういうことは地元と日頃からつながっていないとわかりません。

 

現地のことを知ったうえで、情報をコーディネートできる人がすごく必要です。私は災害復興支援協議会ができる前の連絡会議のプレスリリースを東京からやっていました。社会福祉協議会もボランティアセンターも全部電話が使えなかったからです。メールを送っただけではマスコミは反応してくれません。FAXして電話しないと動いてくれません。情報の拡散は、こういうノウハウがわからないとうまくいかないということを皆さんにお知らせしたいと思います。

及川卓也氏(Hack For Japan)

マスコミに対する発信のノウハウの話がありました。ネットでの発信については、Hack For Japanにも詳しいものがおりますので、その点で協力できるかと思います。

鈴木亮氏(Hack For Iwate)

遠野まごころネットにはボランティア事務所の中に情報を発信する担当が常時3人ぐらいいます。現地に行って、取材に行って、写真を撮って、記事を作って、ブログに上げる活動を行っています。こういう形で「翻訳」ができる人材が長期的に携わることが大事だと思います。今後は被災した方自身が情報を発信できる仕組みを作ろう思っています。

足立昌彦氏

つい最近アメリカから帰ってきたばかりなのですが、東日本大震災に関する情報は、アメリカにはほとんど届いていませんでした。これから沢山情報を集めるつもりですが、最終的には人と人とのつながりが重要だと分かりました。地元の人と信頼関係を築いている方々をバックアップすることが私にできることだと思いました。

政策次第で世界に名前が響く街になる

~バスツアーを現地と繋いだ太田質店、サルコヤ楽器店関係者の皆さん~

太田良子氏

私も主人も石巻生まれの石巻育ちです。先ほど石巻の商店がひどい状況であるという話がありましたが、行政の施策の問題ではないかと思うのです。私が小さい頃の石巻はすごく豊かで、漁師さんがバケツ一杯お魚を持ってきてくれて、切り身なんて見たことありませんでした(一同笑い)。

田んぼを整地して郊外に大きな店舗を作ってしまう。立派な商店街があるのに、人が町の中心から郊外に流れていってしまう。石巻はきれいな川(旧北上川)があり、水辺や広い土地をつかってテニスの国際大会を開くなど、観光、集客に重点を置くべきだといつも思っておりました。石巻商店街の人は今意気消沈のしっぱなしです。でも何とか復興に向けて頑張っていきたいと思っております。

太田道孝氏

地震が起こったときはオーストラリアに出張しており、24時間BBCニュースを見ていました。石巻は英語だとイシノマーキと発音します。世界中の人がこの言葉を覚えています。忘れないように世界に向けて発信し続けて欲しいと思います。

震災の傷跡を壊すことは簡単ですが、残すことも重要ではないでしょうか。もちろん被災された方は見たくもないかもしれません。たとえばベイルートという中東の町があり、戦争を後世に伝えるために砲弾で開いた穴を残しています。ゆくゆくは重要な資産となると思いますので、撤去するものとそうでないものをよく考えてほしいと思います。

太田憲男氏(太田屋質店)

ドーナツ化現象や高齢化などにより、地元の商店街は、このままでは死んでしまうという危機感があります。皆さんのお力で、何かいいご提案をお願いします。

亀山廣氏(サルコヤ楽器店バイオリン講師)

ピースボートさんを含めボランティアの皆さんのご支援のおかげで、気持ち的にも立ち直ることができました。今日は皆さんの貴重なお話をうかがうことができて、本当にありがとうございました。

資金を集めて長期間の支援を

広部知森氏(寄付のしっぽ)

3か月くらい大川小学校で写真やランドセルなどをきれいにして皆さんに返すボランティアをしました。そこでも長期間コーディネートする人たちが必要でした。そこで、現地で活動している小規模な団体への継続的な支援を行う、中間支援団体を設立しました。ご支援いただければと思います。発災直後にこちらに来ることができず、大変悔やみました。今はもう石巻市民になりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。(一同拍手)

 

(取材日:2011年12月18日 ネットアクション事務局 宮下則俊)

 

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