後方支援は、現代の伊能忠敬たち

 

 

OpenStreetMap Foundation Japan 代表 三浦広志 さん

 

オープンソースの地図情報OpenStreetMap(以下OSM)の日本での中心となって活動している代表の三浦広志さん。世界のOSMメンバーと連携してクライシス・マッピング活動を立ち上げ、震災後の現地地図情報をいち早く提供。震災情報プラットフォームサービス「sinsai.info」を震災の当日に立ち上げた。

 

学生時代はボランティアのリーダー。病院に行って難病の子たちと遊んだり、遊びを通じて地域のコミュニティをつくったり、子供たちの悩みを聞いたり。コミュニティの力を向上させる活動に関心があった。

NTTデータの社員でもある。初任給でLinuxを導入して、仕事で使う前からオープンソースに親しんできた。知恵やノウハウ、ソフトウェアやデータが自由に流通し合い、その土台の上に価値を作るのが面白いという。オープンソースは三浦さんのライフワークだ。

 

OSMを知ったのは2007年。バイク乗りの友人が誰でも自由に使える地図情報データがあると教えてくれた。最初は「ふうん」という感じだったが、実際にやってみると面白い。「伊能忠敬みたいに歩き回って、散歩することが社会貢献」イギリスやドイツで2004年に始まった活動だが、当時、日本ではユーザー数はわずか4名。今は日本で約1,000人、世界で約50万人。地図データで商売したいわけではない。地図を通じてコミュニティを作り、人々のつながりを作るのだ。

 

2010年1月のハイチ地震でOSMは活躍した。ヨーロッパのOSM財団が衛星写真の無償提供を受けて、世界中のボランティア約4,000人が協力して2~3日のうちに支援用地図ができあがったのだ。2010年2月のチリ地震、2011年2月のニュージーランド地震、と災害が起こるたびに三浦さんたちは議論を重ねてきた。日本でも地震は多いし、心構えはできていた。

 

 

2011年3月11日、地震が起こった時、三浦さんは会社にいた。家に帰れず、ただテレビを見ていてもしようがない。ちょうどOSMのメンバーの東さんが2月20日頃から、ハイチ地震で使われたソフトウェアをインストールして試していたところだった。すぐにこれを動かすぞ、と皆で決めた。地震発生から約3時間後の午後6時半、サービスとして立ち上がり、利用してもらえるように、仲間を募るように、働きかけ始めた。わかりやすく覚えてもらえるよう、午後8時頃にsinsai.infoと命名して、本格的にデータを集め始めた。

 

その後はAmazonがウェブサービスのAWSを無償提供してくれた。三浦さんは会社の広報や役員にも働きかけて、活動を支援してもらった。全世界に散らばるOSMのボランティア約1,000人が、sinsai.infoサービスの背景となる地図を、写真をもとにひたすら作った。「ここまで水が来た」「この道路は寸断されている」などの情報は、約600人で入力していった。

さらに200人ほどの情報ボランティアがTwitterに流れてくる情報を取り込み、デマかどうかを判断し、位置情報をつけ、分類し、掲載する作業を行った。この情報をもとに、実際に救援されると「東京の○○病院に移られて、皆さん元気です」というレポートにつながっていった。

 

今、活動を振り返って、難しいのはシステムを離れたソフト面での運営だと三浦さんはいう。情報ボランティアをどう運営するか。情報の新鮮さと正確さをどう担保するのか。これからワークフローの整理が必要だと強く感じたという。

 

三浦さんは、今後の新たな展開も考えている。sinsai.infoは支援をする人たちのための後方支援ツールだ。自衛隊やNPOが助けに行くときや物資を配送するときに参考にしてもらえたらいい。そのためには、誰でも簡単に使えることが重要だ。クライシス・マッピングではなく、日常的なコミュニティ・マッピングにも活用したい。安心・安全マップ、お祭りマップ、商店街アピールマップなど。普段の地域コミュニティづくりが「いざ」というときに役に立つのが理想だ。使ったことがないツールは、使えないのだから。

 

三浦さんの資料は、以下に公開されています。

http://www.slideshare.net/miurahr/

 

(取材日:2012年1月6日 ネットアクション事務局 木村有紀)

 

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