この通りは昔、大規模な芋の集荷所が設置されていたという。

現在はわずかに当時の石垣が一部の住宅に残されている。

 

藤沢北部で収穫された芋をここに集め、各地へ配布(販売?)していた。

芋に限らず、藤沢は米蔵も多く、穀物があつまる物流拠点としての性格をもっていた。

なんども氾濫したが、河川が大きな役割を果たした。

 

そこに江ノ島道や東海道が通っている。興味深い。