本輪西の旧道 について知っていることをぜひ教えてください

「まちの記憶~本輪西・港北展」を開催したときに、港北町2丁目町会の会長さんが来場されて、昔の本輪西についていろいろ聞かせて下さいました。
その中から、「道」についての話を記録しておきます。

 

 

 

 

 


内陸を通っていた旧国道

お話の中で、「旧国道」というキーワードが出てきました。

我々の世代で旧国道と言うと、現在の国道と平行して山側を走る、現在の市道本輪西・港北大通線を思い浮かべます。
しかし、会長さん曰くそれも新しい道で、もともとはもっと内陸の道を「旧国道」と読んでいたとのこと。

その道とは、「人の通らぬ小道にそれるイザベラ」で山田説として紹介したルートの本輪西・港北部分と一致しました。

その「旧国道」は、伊能橋から神社の下を通り、山の中腹を現在の港北町の方まで進み、そのまま山越えで中島町の方に通じていたとのことです。

見晴通と墓地

港北町から見上げると、急勾配で山の上に伸びている道があります。それが「見晴通」です。
今回、この通りについてもいくつかお話を伺うことができました。

現在の見晴通りは、柏木町に向かう道「市道港北・柏木通線」から分岐しています。
この市道が整備されたのは非常に最近のことだそうで、整備される以前は人ひとりがようやく通れる程度の踏みつけ道だったとのこと。
その頃は、見晴通はこの旧国道から分岐していたのだそうです。

そしてこの見晴通りですが、登った先に墓地があったそうで、輪西村開拓に携わった多くの方がここに葬られたとのこと。
かつては葬列がこの坂を登って墓地に行っていたのだそうです。

言われてみれば、坂のてっぺんあたりにだけ、松の生えているところがありますので、もしかしたらそのあたりが墓地だったのかもしれませんね。

[2017/05/06 山田 正樹]