母恋弘済保育園に通ったことのある方、保護者の方、元職員の方懐かしい想い出など、どんなことでも結構ですのでお書きいただけますでしょうか。
こちらに掲載している写真のほとんどは廃園の時に『母恋弘済保育園 50年間の写真集』という当時の父母会役員の方が作成・配布いただいたCDから使用させていただいてます。写真の枚数は300枚以上、その中から個人が特定できるものは避けての掲載のためここにあるのはほんの一部です。他にも掲載可能な写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、想い出話と共に追記をお願いいたします。
写真提供:浅井弘二
鉄道弘済会室蘭保育所
室蘭市母恋南町2-5-8
- 昭和27年 5月 5日 建物着手
8月12日 竣工
9月20日 施設認可・開設
- 昭和31年 5月 1日 建物増設着手
6月29日 竣工 午睡室新設、遊戯室・保育室拡張
保育所要覧作成
- 昭和33年 保育所要覧作成
- 昭和37年 6月 1日 建物増改築着手
8月 7日 竣工 保育室・遊戯室入口・事務室・宿直室・トイレ
保育所要覧作成
- 昭和46年 保育所要覧作成
- 平成14年3月31日 閉所
- 平成15年4月 当時の主任であった小椋三千子先生が「はだしっこ共同子供園」を輪西町で開設
(2015.1.5 sachiko )
あ り が と う
(2015.1.11 写真提供:浅井弘二 文:sachiko )
宝物は『おたよりちょう』
1歳1か月の息子を抱いての入所式。
先生は日々の息子の様子を事細かに毎日毎日、この『おたよりちょう』に書いてくれました
”熱もなく元気に過ごしていましたヨ。4丁目公園へ行ってきました。行きははりきって ずーっと歩いていたので 帰りはもうダウン 「ねんね ねんね」といって連発して ずーっとおんぶで帰りました。 が、給食もりもり食べ「ねんね」といっていた通り、大きい子が ホールに布団をひくなり、ふとんにねころがっておむつもイヤイヤとりかえて すぐにねむってしまいました。”
”今日はホールで障害走をしました。初めに前転、次に平均台くぐりなんですが、前転がこわくて・・・で、つぎの平均台も こわくて・・・で、最後に風車(今日はポンポン)を持って走ってゴールなんですが、それはよろこんでもって走ってました。”
”ゲリもせず すごしていますが、やっぱりお散歩で歩きたがらなかったのは あんまり体調がよくなかったのか 帰りは歩いていたので(一人で、手をつながないと けっこう 歩くんですよ) ただ 甘えていたのか・・・でも だっこしながら「歩くかい?」に 「いやーだー」と答えて 「歩かないの?」にはなにも 答えないないので しっかりとわかっているようですが・・・”
今読んでも目頭が熱くなります・・・。毎日この『おたよりちょう』を読むのが楽しみで、私も返事を書くのも楽しみ。時々、読み返しては我が子の成長を振り返る・・・。
まだ歩けない、まだしゃべれない我が子を預かってもらうということは不安がたくさん・・・。『おたよりちょう』だけではなく、ここの先生達にはどれだけ勇気づけられたことか、親子一緒にどれだけ成長させてもらったことか。
『おたよりちょう』はいつもぼろぼろ・・・手帳がすぐに足りなくなるので、先生がテープで張り合わせてくれました。13年経とうとしている今も、ここで育った4年間は全部私達親子の大事な大事な宝物。(2015.1.3文/写真sachiko )
ありさん・てんとうむしさん・みつばちさん・ちょうちょさん・とんぼさん
1,2歳時はありさん 2,3歳児はてんとうむしさん ふたつ一緒で ありてんさん
3,4歳児はみつばちさん
4,5歳児はちょうちょさん
そしてみんなのあこがれ 5,6歳児のとんぼさん
とんぼさんはやさしいいんです。ありてんさんの面倒をよくみてくれます。お散歩はちいさいお友達と手をつないでくれたり、お昼寝のお布団をしいてくれたりします。
とんぼさんはすごいんです。みんなで保育園にお泊りするんです。誰も帰りたいって泣いたりしないんです。
とんぼさんはかっこいいんです。卒園式ではみんなの前で、のぼり棒や竹馬を披露するんです。
そうやってみんな立派に育って、ここを巣立って行きました。
当然のことながら、息子とそのお友達みんな一緒にとんぼさんになる日を楽しみにしてました。まさかの廃園の知らせで、お泊り会も、卒園式ののぼり棒も竹馬の姿もみることなく、ちょうちょうさんのまま、とんぼさんにはなれませんでした。
ちょっとさみしいお話をしてしまいました。
ここの保育園のすごいことはたくさんあります。
子供たちは年中はだし。お散歩にはビーチサンダルをはいて出かけます。安い通販のサンダルを探してはみんなでまとめ買いしたことを思い出します。はだしで育った子どもたちはとても丈夫になります。足がいつもぽかぽです。ぽかぽかなのでお出かけすると、はきなれないくつ下をすぐにぬいでしまい忘れてくることもよくありました。
仕事が終わりおむかえに、園のホールへ入っていくと、私の足に砂がついてザラザラ、くつ下は黒くなり、息子の足も当然のこと。でも、毎朝細かくちぎった新聞紙を床じゅうに広げそれを砂ぼこりとともにホウキで掃き、その後拭き掃除。床をキレイにしてくれるいつも笑顔のお掃除のおばさん達の姿がありました。その笑顔は、今日もたくさん遊んでどんどん汚しなさい、また明日キレイに掃除してあげるからと言ってくれているようでした。
(2015.1.5高山幸子)
(2015.1.11 写真提供:浅井弘二)
安心な給食
毎日毎日子供たちの為に考えて給食を作ってくれました。子供たちの口に入るものなのでどれだけ大変だったかは、調理・栄養士さんの真剣な表情と常に整理整頓された厨房が物語っていました。
時々ご馳走になる出汁のきいた温かいうどんがとっても美味しかったです。また食べたいな。(2015.1.5高山幸子)
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