滝本金蔵の残した道は何処だろう? について知っていることをぜひ教えてください
滝本金蔵が明治時代前後に登別温泉まで開削した道はどの辺りにあるのだろう?。安政の道は登別から中登別までは安政時代に作られた道路の輪郭が林の中に残っているので大体ルートは予想できるが、市史ふるさと登別に掲載されている中登別~登別温泉間のルートは具体的な証拠が乏しいのでいまも詳細は分からないと言った方がよいのではと思う。
市史ふるさと登別では中登別のカモイワッカから日本製鋼所の所有の土地を通り登別温泉中学校跡のカントレラ付近を通って山筋の中腹を登別温泉まで道があるように描いている。もしその道が本当であれば。国立公園の中なので大掛かりにいじっていないはずだと考えられる。だから熊牧場のケーブルカーに乗ったときに山すその地形のくびれを探したのだが見当たらなかった。踏み分け道ならいざ知らず人馬が行き交ったのだから少しは道路の形跡があるものだと思う。どなたか当時の古道について情報を知っている方がいたら御教示願いたい。