岡田港は伊豆大島北端の港で、現在は大島町岡田地区。旧岡田村は江戸時代から「海かた」の村として、船を保有して元村(現在の元町)と並んで栄えた古い港街。岡田はオカタと読むのが正しいとされる一方で、呼びやすさから観光客に説明する上ではオカダと発音することが多い。大島の原型となった古い火山地形の一帯で、海蝕された断崖の続く天然の良港。波風に強く、元町港に客船が付かないときには岡田港がその役を担う。漁港が併設している。東側に朝日を浴びる「日の出浜」があり、海水浴場となっている。消波ブロックと岩礁に囲まれた小さな浜で、波が穏やなために家族向けとされている。
 

林芙美子と岡田村


林芙美子が『大島行』の短い岡田村の記述のなかで、何度も岡田を褒めているのが印象にのこる。ナポリの漁師町に似ていて愉しい、マティスの描いたような渚だ、ここに来て初めて大島に来た気がした、島の宿らしいご飯に珍しく三杯もお変わりした、短い小説でも書きたくなるほど静かで落ち着いている、何度も言うようだが勉強するのにいい、と風景と人情、もてなし、食べ物、空気、時間の流れ、欧州との類似、都会との対比等「大島らしさ」を多面的に評価している。岡田村をナポリになぞらえたのは1930年発表の『放浪記』の印税で、1931年から1932年にかけた洋行暮らしを思い出してのことと思われる。大島には1933年に来島したとされている。

「こゝは、實に素朴な風景です。村へ降りて行く石の段々の上に立つて、村の屋根を見てゐるとナポリの漁師町と似たところがあつて、とても、心愉しいものでした」

「晴天の日の此岡田村の風景を空想したゞけでも描きたくなりませう」

「マチィスの描いたやうななぎさのきはに、岡田と云ふ宿屋があります。二階の雨戸をあけると眼の下が海と砂濱で、眉に迫つて乳ヶ崎の半島が突き出てゐて、こゝへ來て始めて大島へ來た感じでした」

「わざと、元村で食事して來なかつたので、時間はづれの一人前の晝食を頼むと、「しけで何にもないのですが」と云つて、それでも、島の宿らしい簡素な膳をとゝのへてくれました。珍らしく三杯もお變りして四拾錢」

「偶と短い小説でも書きたくなる程長閑な氣持ちでした」

「何度も云ふやうですが、岡田村は勉強でもするにいゝところでせう」


林芙美子 「大島行」1976(昭和51)「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版 年8月1日初版より引用


朝。
 ざんざ降りです。これでは何としても動きやうがないので、障子を開けてみるのですが、犬小屋があるきり、椿も山櫻も咲きゝつてゐるのでせうが、座敷からは、庭の土が見えるだけなので箱火鉢のそばに地圖を擴げて東へ一里二十丁程ある岡田村へ行く計畫をたてゝみました。雨が小降りになるまでと、二階の方達と五目並べなぞしてゐると、丁度徒爾たいくつで困つてゐる三人連れの中年の御婦人があつたので、その三人の女の方を誘つて、岡田村まで大きな箱自動車で出掛けました。
 三人共銀行家の奧さんとかで中年の方達だけにひどくくだけてしまつて、岡田村のつかのもとと云ふ終點に着いた時、ざんざ降りの雨の中を此三人の女のひとたちは尻からげになつて、何丁かぽくぽく私といつしよに歩いてきました。
 こゝは、實に素朴な風景です。村へ降りて行く石の段々の上に立つて、村の屋根を見てゐるとナポリの漁師町と似たところがあつて、とても、心愉しいものでした。
 太格子ふとがうしの障子の裏からは眠たげな女の聲で大島節が聞えて來て、雨の中ながら、四人ともたちどまつて聽いたものです。
「こゝには繪描きさんがよく見えます」と運轉手が云つてゐましたが、晴天の日の此岡田村の風景を空想したゞけでも描きたくなりませう。
 一泊のつもりならば、元村なぞに泊るよりも長驅して此岡田村に來た方がいゝと思ひます。
 マチィスの描いたやうななぎさのきはに、岡田と云ふ宿屋があります。二階の雨戸をあけると眼の下が海と砂濱で、眉に迫つて乳ヶ崎の半島が突き出てゐて、こゝへ來て始めて大島へ來た感じでした。
「何でもいゝから御飯をたべさせて下さい」
わざと、元村で食事して來なかつたので、時間はづれの一人前の晝食を頼むと、「しけで何にもないのですが」と云つて、それでも、島の宿らしい簡素な膳をとゝのへてくれました。珍らしく三杯もお變りして四拾錢。連れの女客連は、草餅を頼んで、火鉢で燒いて食べてゐました。此宿は階下が駄菓子屋で二階が宿屋なのでせう。小學校の先生でも下宿させてゐるのか便所の中に答辭の書き汚しの美濃紙が隨分澤山置いてあつて、偶と短い小説でも書きたくなる程長閑な氣持ちでした。
 厭な雨だつたのも、かうして素朴な宿から見ると、今ではいくら降つてもいゝやうなすがすがしさです。汀に大粒の雨がしぶいてゐるのは、まるで齒にハッカ水が沁みてゐるやうでした。
「お餅の代なぞいりません」と云ふのを、私の晝食代四十錢入れて四人で壹圓置くと、宿の上さんは「アレマア」と氣の毒さうにして送つて出てくれました。
 何度も云ふやうですが、岡田村は勉強でもするにいゝところでせう。歸へりは亦、野生の椿のトンネルをくぐつて、雨の中を元村へ歸りましたが、もう東京へ歸へる船が出てしまつたので、亦元村に一泊です。