直谷城は佐々町のお隣の町・旧吉井町(現在は佐世保市吉井町)にある戦国時代の城跡。
城跡と言っても天守閣とか石垣とか水の溜まったお堀とかは無い、戦国時代は領主にとって城は支配の象徴ではなく、あくまでも戦略上の砦という意味合いだから、天守閣など必要はなかった。だから山の上に築く、それも険阻で谷が深いか、又は人工的に谷を作って(竪堀という)守りやすくした、そういう山城の特徴が色濃く、保存状態よく、見やすいものが直谷城趾と言える。
谷あいの道を登る、現在は杉が育っているから二人並んで歩くのも難しいが、杉がなくとも幅10メートルも広がれないだろう。そんな狭い谷を徐々に登っていく。そうすると城の防御線が現れてくる。
防御線は人工的に作った土塁が谷道と直角に四段にわたって配置されている。500年以上前のものとは思えないほど原型をとどめている、なんでも草刈りのときには土塁の石が固く組まれていて難渋するらしい。やっと土塁を抜けると井戸が現れる、これはこの城の生命線、ここを巡って多数の将兵が激闘したと伝えられるところだ、なにかも曚気を感じざるを得ない。
そうして、段々と坂が急になっていき、着いたのが平場、ここは当時城主が暮らしていたところ。
写真は無いが、城道の左側は幅2間ほとの尾根道が連なり、常に5メートル程優位にある。右側が一ノ郭がある城の心臓部だが、これも10メートルはあろうかという絶壁に守られており、防御に関しては鉄壁としか言うことはない。
一ノ郭は今は回りを広葉樹が取り囲んでいるが、森の切れ間からの景色は、戦国時代の領主が眺めていたであろうから、感慨深いものがあった。まさに佐々谷の名城であった。
銀竜草が咲いていた。