笠鉾とは山車の一種で、田辺では一般に「お笠」と呼ばれ、田辺祭で巡行が行われます。

「お笠」を出すのは、本町(本町組)、福路町・紺屋町・片町(福路町組)、栄町・北新町・南新町(栄町組)、江川町(江川組)で、紺屋町では大正15年から笠鉾に替えて衣笠が、江川町では笠鉾2基と住矢と

呼ばれる衣笠が出陣します。巡行はこの組単位で行われており、先頭は江川町の住矢、それに続く本町の順番は不動ですが、そのほかの組順は毎年変わります。ただし、組内での町順は変わりません。

笠鉾の上屋には作り物を飾り、下屋にはお囃子の人々が乗ります。住矢は名のとおり、町々の住まいを矢のように走って厄を祓い清め、一年間の無事安泰を祈願する役目で、笠鉾の先頭に立って巡行路を清めていきます。

笠鉾巡行は、宵宮の朝に本町に集合し、闘鶏神社からの神輿を迎えて、神輿渡御に随行し、潮垢離の儀を勤めてから各町を巡行し、夕方には神社前に曳き揃えられます。午後7時ごろには笠鉾は鳥居前を勤め「とれもていこら」で旧会津橋へ向かい、橋の上で再び曳き揃えられます。笠鉾の紅提灯が川面に映る情景は、田辺の夏の風物詩です。

25日の本祭では、笠鉾はそれぞれの町内を曳き廻り、正午には旧会津橋に曳き揃えられ、見どころのひとつである「七度半の迎え」の儀と潮垢離の儀が行われます。夕方に神社前に曳き揃い、午後7時30分ごろから宮入りとなります。住矢が最初に神前を勤め、そして「笠やぶち」(住矢の解体収納)をします。その後、笠鉾は順番に宮入りし、得意のお囃子を奏して神前を勤めます。

闘鶏神社の二の鳥居前で三人の稚児による流鏑馬が披露された後、手打ち式があって田辺祭は終わります。笠鉾は、先囃子の稚児たちを上屋に乗せて、各々の町への帰途につきます。