麒麟麦酒開源記念碑より

「明治十八年後藤象次郎伯、岩崎弥之助 男、増島六一郎博士、渋澤榮一子、益田孝男、カークウッド、グラバ、ベルツ、カールローデの諸君唱首となって同志を糾合しジャパン・ブリュワリー・コンパ ニーと稱する合資會社を起してスプリング・ヴァレー・ブリュワリーの事業を継承し始めて其醸造する麦酒に麒麟麦酒と命名す」

1885年(明治18年)スプリング・ヴァレー・ブルワリーが売却にでると、居留地は治外法権であるため、日本人による資産取得ができないため、三菱の顧問であったスコットランド人、トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)が奔走。英国法人ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッドとして質、地の利のいい製造販売を受け継ぐことになる。出資者は岩崎彌太郎の弟の岩崎彌之助や渋沢栄一など、財閥を超えた広がりが見られ、ライバルたちも協力関係にあったことがうかがえる。

そして、欧州の動物の絵柄を真似たラベル、商標が通常のなか、架空の動物「麒麟」を採用して、この会社の銘柄として「麒麟麦酒」が歴史に登場する。麒麟麦酒の歴史を伝えるホームページには「三菱の荘田平五郎の発案で東洋の霊獣“麒麟”をラベルに採用して、1888(明治21)年5月に「キリンビール」を発売しました」とある。

http://www.kirinholdings.co.jp/company/history/group/01.html