湯河原襲撃事件(ゆがわらしゅうげきじけん)は、1936年(昭和11)2月26日に起きた2.26事件のとき、湯河原で牧野伸顕伯爵が襲撃された事件(1)

同日、牧野は湯河原温泉権現山の入口にある伊藤屋旅館の貸別荘・光風荘に、夫妻と孫娘、看護婦、手伝い、護衛の巡査数人と滞在していた(2)

同日午前2時頃、河野寿大尉以下8人は、牧野を暗殺するため、乗用車2台で東京の麻布第1連隊の営門を出て、湯河原へ向かった(2)。一行は湯河原に到着すると、藤木橋付近に車を止め、光風荘の門前に到着(2)。午前5時に、うち4人が勝手口に回って「電報、電報!」と叫び、戸口を開けた護衛の皆川巡査に拳銃を突き付けて牧野の部屋へ案内させた(2)。その途中で皆川が拳銃で河野を撃ち、河野も反射的に拳銃で皆川を撃った(2)。皆川は腹部を撃たれ、死亡(2)。河野は胸部を負傷し、動けなくなったが、牧野の寝室への機銃掃射と光風荘への放火を指示した(2)

建物に放火され、火の手が上がる間に、館内から女性の一団が逃れ、牧野は女装してその中に紛れて脱出した(2)

麻布第一連隊の一行は、負傷した河野大尉を乗せて熱海衛戍病院へ行き、河野は弾丸の摘出手術を受けて生命の不安は去ったが、同月28日に決起軍が「叛乱部隊」とみなされ、同29日に鎮圧されたことを受けて、同年3月5日に病院を抜け出して山林に入り、果物ナイフで割腹自殺し、死亡した(2)

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参考資料

  1. 「年表」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、148-151頁
  2. 播摩晃一「大雪の中の湯河原襲撃」同書84-85頁

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