明治元年(1868年)11月13日から15日にかけて、松前藩と交戦中の旧幕府軍の館城攻撃部隊(幕府一聯隊)が鶉村へ進出し、ここを拠点に館城攻撃を行いました。

14日には鶉村で松前藩軍との交戦も行われました。

これを恐れた村の婦女子や老人は山や沢に逃げ、この洞窟にも隠れたといわれています。

 

「ホイド穴」の名称は、昔から昭和初期まで、「ホイド」がこの岩陰を寝ぐらとして利用していたためと言われています。

岩陰の中は焚火のため煤光りとなり、「ホイド」がいなくなった後もその臭いが残っていたということです。

また、平成16年に環境整備工事にともなって恵山式土器(約2000年前)が発見され、「ホイド穴遺跡」として、北海道教育委員会の包蔵地として登載されました。

(文化遺産を活かした「素敵な過疎のまちづくり」推進協議会,2015『厚沢部町文化遺産マップ』より)