明治18年      サンフランシスコ市、植物会社社員 H・Ë・アーモアが来朝し有田郡山田原の上山栄一郎の柑橘園を

          視察。

明治19年      アーモアからオレンジと除虫菊種子が送られた。英一郎の努力により除虫菊栽培、

          加工の基礎が出来た。

          これが日本の除虫菊の初植となった。

大正6年(1917)   日高除虫菊株式会社(印南町)が設立され御坊市域の除虫菊はこの工場で加工された。

大正13年頃(1924) 除虫菊の栽培は有田郡に変わって日高郡が主産地となる。

          名田村では明治末期より栽培されるようになり、昭和9年(1934)~昭和12年(1937)には

          県下最大の産地になった。

昭和9年除虫菊製造量  名田 60,200貫  印南 19,200貫  切目 15,069貫  稲原 13,631貫

 

「御坊市史」より抜粋