ここでは、男山谷崎潤一郎文学碑 について紹介します。
在所:京都府八幡市八幡高坊
【ポイント】
①.「やわた文学碑設立事業」の第3基目として、谷崎生誕百年にあたり1986年7月24日に除幕された。
②.小説「蘆苅」は、橋本の渡しの淀川の中州が小説の舞台であり男山と月の描写から選択された。
【関連写真】
谷崎潤一郎文学碑2019_12_16 金只
文学碑(蘆苅抄の1節)2019_12_16 金只
【補足説明】
①.現地案内板より
蘆苅抄 谷崎潤一郎
わたしの乗った船が川へ漕ぎ寄
せたとき男山はあたかもその絵に
あるやうにまんまるな月を背中に
して全山の木々の繁みがびろうど
のような津やをふくみ、まだどこ
やら夕ばえの色が残ってゐる中空
に黒く濃く黒ずみわたってゐた。
※ 碑文の字は、昭和8年に刊行された潤一郎自筆本による
谷崎潤一郎(1886~1965)は、関東大震災を契機に関西に移住して以降、その風土と伝統文化に魅せられ、純日本的、古典的なものを主題とする作品を多数発表した。小説「蘆苅」は、「春琴抄」等とともに女性を賛美し、永遠の美を追求した中期の名作群の一つとされている。
大山崎から橋本へ渡る淀川の中州が小説の舞台であり男山と月の描写は小説のもつ夢幻能の効果が考えられている。
この文学碑は、「やわた文学碑設立事業」の第3基目として、谷崎生誕百年にあたり1986年7月24日に除幕された。 八幡市
【参考情報】
Wikipedia:谷崎潤一郎
Localwiki :柳谷渡し跡・・・蘆苅に出てくる淀川の中州への渡し場