技術は産業だけではなく、国や日常の生活にまで影響を与える

 

Hack For Iwateの代表であり、翔泳社のメディア事業部取締役を務める岩切晃子さん。生まれは岩手県釜石市。岩手県を中心に被災地支援に取組んでいる。地元である釜石市は「鉄と魚のまち」として発展してきた。父は県の水産技師、母は新日鉄の社員だった。釜石の中心産業に携わる両親の背中を見て育った。

 

IT関連の出版物などを取り扱っている翔泳社だが、岩切さん自身はIT技術者ではない。大学では美学美術史を学んだ。卒業後は大学での専攻とは縁のない半導体関連の出版社に入社した。日本の半導体産業が急伸し、日米間の半導体生産額が逆転、日米半導体摩擦が起きていた時代。技術は産業だけではなく、国や日常の生活にまで影響を与えるものだと知った。その後、コンピューターが個人で使える一般的なものとして世に出始めた頃に翔泳社に移ることになる。ITで世界が変わるのを間近に見て「IT技術者がもっと元気になれば社会が良くなる」と思った。この頃から「Developers Summit」などIT技術者を支援する活動を行っている。勉強意欲や志が高いIT技術者に出会い、さらに想いを確かにした。「洋服や食事は自分の意思で選べるが、システムやソフトウェアは会社が採用したものや社会で皆が使っているものを選ぶしかない。IT技術者以外が自由に作るとか選ぶことが難しい。だからこそ、使い勝手の良いものをリリースして欲しい」。IT技術者がより良いものを開発すれば生活が便利になり社会が豊かになる。Suicaなどは良い例だ。

 

IT技術者の力は分かっていても、震災後のHack For Japanの活動に対しては当初「ITが被災地支援に役に立つのだろうか?」と懐疑的だった。Hack For Japanの活動の一つとして、岩手沿岸部を中心としたボランティアセンターを取材したが、多くのボランティアセンターでは紙ベースで事務が進んでおり、ボランティア希望者の情報などを紙に残し、手作業で集計しているという状況だった。「これではITの出番はないのではないか」とさえ感じた。そういった中で、「遠野まごごろネット」は、突然の訪問にもかかわらず「IT技術者に来てほしかった」と逆に熱く自分たちのやりたいこと、ビジョン、今の業務への改善要求などを具体的に語ってくれた。遠野はボランティアの中継基地として機能しており、支援物資やボランティアを沢山集めなければならなかった。現地のニーズや必要な人材を把握し、その情報を発信する。集まった支援物資やボランティアを現地に送り出す。自分達が想定する以上のデータを扱わないといけない。ITに対するニーズが生まれていた。

 

「自分は地元に恩返しできる機会はないと思っていたけど、震災後はネットを使って釜石市の情報を発信しました」。地元だけでなく故郷を離れた人が被災状況を知る手助けになり、思わぬ反響があった。「被災地以外では被災地からの情報提供が重要になる」。活動を経てそう思うようになった。

 

Hack For Iwateは復興していく店舗の様子をインターネット上の地図に記述するワークショップを2012年3月20日に実施する。それに加えて「自然災害は日本のどこかで起こりうるもの。誰でも使えるボランティアセンター運営のITマニュアル、自分の居場所からどこの避難所が近いか示すマップなど、きたるべき災害に備え提案していきたい」という。

 

また、「楽しみをもたらすこともITの役割」と岩切さんはいう。
「被災地の子どもが希望をもてる社会にしたい。世の中には面白いこと、楽しいことが沢山あるのだということをネットで知ることができる時代。自分の周りをみると嫌になることもあると思うから、子どもたちにネットの楽しみ方を教え、世界がどんなに広いのか、それがパソコンの中から感じられることを見せたい」。プログラミング教育など子どものためのIT技術育成支援も考えている。現状を悲観するのではなく、『ITで解決できること』を自分たちの目線で考えて発信していきたいと。

 

(取材日:2012年3月13日 ネットアクション事務局 山形信介)

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.