なによりも人命が大切だった、必死になって取り組んだ

  • Clip to Evernote
  •  
  • 津波で流出した陸前高田市の情報システムの復旧

岩手県陸前高田市に勤める高橋良明氏は、庁内システム運用管理を担当してきたが、東日本大震災当日は、庁舎等の管理を担当していた。震災後すぐに停電。その後、市の中心部にある市民体育館には15メートルを超える津波が到来。高田松原は海と化し、7万本あった松の木は、1本を残してことごとく流された。市内の約8千世帯のうち半数近くの世帯が全壊した。

 

市役所も公民館も、消防署も警察署も、体育館も図書館も、全て全壊した。1691名が亡くなり、41名が行方不明という「思い出したくない絶望の日(陸前高田市長)」となった。

 

市役所の屋上には120名ほどの人がいた。市長や市の職員の他にも、50名ほどの地域住民の人たちがいた。そのまま一夜を過ごした。逃げ遅れた職員の多くが亡くなった。それから数日は食料や毛布を調達して配ることで精一杯だった。道路が寸断されて行けない避難所もあったが、津波の被害を受けなかった地区(高台)にあらかじめ災害用に配置していた2台の衛星携帯電話が役に立った。

 

学校給食センターに災害対策本部を設置、3月14日には災害対策本部付近の電気が復旧した。市の担当者が被災したため、元担当の高橋氏が市の電算関係の復旧という重要な職務を担うことになった。まずは安否確認作業をしなくてはならない。それに必要な住民基本台帳のデータをプリントアウトして翌日15日に納入業者が持ってきてくれた。しかし、手書きのデータ処理には限界があるので、システムの復旧を急がなくてはならない。

 

全壊した市庁舎に行き、無残な姿のラックマウント型のサーバからハードディスクを取り出した。ホッとしたのは、住民基本台帳などのデータが復旧できたことだ。職員が普段使っていた個々のデータは復旧できなかった。業者に協力してもらい、3月23日に住民基本台帳と財務会計システムの仮復旧を果たした。不足する電力の配分を工夫しながら、増築したユニットハウスへのLANの配線などを通じて市の行政機能を徐々に回復させていった。
総務部総務課へ移った高橋氏の奮闘の日々はまだまだ続く。5月16日にプレハブ仮庁舎が1棟完成した。業務開始に合わせて仮システムを移設した。7月3日には、仮庁舎の2棟目の引渡しを受け、サーバルームが完成した。3月11日以前とほぼ同等の状態に戻ったのは、7月25日の3棟目の仮庁舎での業務開始日であった。

 

取材を通じて、自治体の情報政策の参考になる点が見えた。庁舎以外でのリアルタイムなデータバックアップが必要だ。データがどの地域に預けられているのか分からなければ、被災直後の自治体で活用できない。ネットワークが切断されたときのことを考えて、直ぐに行けれる距離の「顔の見える」データセンターが役に立つ。衛星携帯電話だけでなく、衛星インターネット回線が役立った。これと発電機があればテキストメールを送るような最低限のことができる。

 

「本当は、冷静にしっかりと優先順位を考えて作業をすれば、もっと早くシステムを立ち上げることができたのかもしれない」と高橋氏は振り返る。ただ「なによりも人命が大切だった。必死になって取り組んだ」とも語る。

 

・陸前高田市 ホームページ

http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/

・公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」のホームページ(高橋氏のセミナーでの発表資料)

http://www.city.sendai.jp/shisei/1201134_1984.html

 

(取材日:2012年1月18日 ネットアクション事務局 新谷隆)


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

  • Clip to Evernote
  •  
  •  

  •  

  •