利用者のニーズや課題に合わせて試行錯誤する蛍雪技術
「写真は楽しいときに誰かと一緒に撮ることが多く、孤独な写真はほとんどありません。写真には、何らかの関係性が表れている。いわば『つながりの証』なんです」。宮城県山元町で行われている「思い出サルベージアルバム・オンライン」プロジェクトを率いる柴田邦臣さんは、そう語る。
東京の大妻女子大学で福祉情報学などを教えている柴田さんは、学生時代の6年間を宮城県で過ごした。東日本大震災が起きると、理事を務める社会情報学会の関係者などに「テントもネットを張れる人」の募集を呼びかけ、4月7日から宮城県亘理郡山元町で復旧支援活動を始めた。
避難所のインターネット環境を整えたり情報入手を手伝ったりしているうちに柴田さんは、写真のプリントアウトやスキャン、デジタル保存へのニーズが多いことに気づいた。「みなさん、昔の写真や亡くなった方の写真を必死に探していました。家や車と違い、思い出はお金では戻ってきません。情報の発信よりも思い出の再生と返却が、これから人々を支えていくと思いました」。
各地の体育館に自衛隊が集めた思い出の品々の中には、たくさんの写真アルバムがあった。4月下旬から柴田さんたちが開始した「思い出サルベージアルバム・オンライン」プロジェクトは、こうして集められた70万枚もの写真をデジタルデータとして保存するとともに、閲覧・検索システムを提供することで持ち主に返そうという取り組みだ。
津波を被った写真は、泥で汚れ、バクテリアによる侵食が進んでしまう。そうした写真をボランティアの手で1枚1枚洗浄し、デジタル化し、データベース化していく。データは山元町の皆さんだけが確認できるような形で公開し、見つかった写真は町役場の横の「ふるさと伝承館」で返却している。
写真データには、写っているモノや出来事、場所などがキーワードとしてタグ付けされている。パソコンからキーワード検索することで、写真を見つけ出すことができる仕組みだ。だが実際のところ、地元のことに詳しくない洗浄ボランティアには、写っている場所や人がなかなか分からない。
ここで力を発揮しているのが、地域のつながりの力だ。写真を探していると、自分よりも友人・知人の姿を見つける人が多い。「あ、これ○○(人名)さんだ!」と気づいた人が、その人の名前をキーワードとして写真に付けることで、次第に写真が探しやすくなっていく。誰かが自分のことを覚えてくれているという地域の力が思い出の発掘に生かされている。柴田さんは「写真を探しながら、地域のつながりを再発見しているともいえます」と解説する。そして、「家族や地域コミュニティの記憶であり、地域の人のつながりの証拠である写真のアーカイブ化に、情報技術を役立てたいと考えています」と語っている。小中学校の卒業アルバムをデジタル保存するとともに、津波などで無くしてしまった卒業生に再配布する取り組みも始めた。
2011年の秋に入り、写真データベースに顔認識技術を組み合わせることで、大幅に効率が上がった。探しに来た人の顔を認識させると、顔が似ている親子や兄弟姉妹まで芋づる式に見つかったりするようになった。このようにして、2012年3月までに、全70万枚のうち2割程度を返却した。
「被災地支援のような非常時は、利用者のニーズや課題に合わせて技術を流用し代替する試行錯誤の繰り返しです。このような想定外の技術の使い方を蛍雪技術といいます。平時に学校で教わるような知識が役立つとは限りません。そもそも、津波に流された写真の専門家なんていませんから、実践の中で学習していくんです」。柴田さんが専門とする障害者の支援技術は、以前から常にこうした蛍雪技術の積み重ねによって成立していた。ここで柴田さんの知識や経験が生きている。
(取材日:2012年1月27日 ネットアクション事務局 庄司昌彦)
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