学校からのメールは今でも週に1度、家庭に届けられている

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液状化被害にあった浦安市の小学校から保護者へのメール配信

千葉県浦安市にある富岡小学校は桜並木のある境川沿いにあり、春になると校庭にもたくさんの桜が咲く。東日本大震災の強い揺れを感じると、子どもたちは机の下へ、続いて校庭へ避難した。すると、再度大きな余震。校長先生は子どもたちを各自下校させるのではなく、保護者への引き渡しを決めた。都内へ通勤する多くの保護者が帰宅困難となったため、極めて適切な判断であった。

 

しかし、電話は繋がらない。そこで同校の教頭を務める原早苗先生は、15時30分に保護者への一斉メール配信を実施。児童の引き渡しをするために、学校へ迎えに来るように依頼した。

 

このメール配信システムは富岡小学校の保護者からなる「富小ネットボランティア」が作り上げてきたものだ。富小ネットボランティアは2000年に発足し、校内LANの整備や各教室へのパソコンの寄付、ホームページの立ち上げなどを手伝ってきた。おそらく全国で最も早い時期に校長室にサーバを設置してメールを学校から保護者へ一斉配信するシステムの運用を開始した。そのためのプログラムはITの仕事に携わる保護者が富小のために自作したものだった。最初のうちは利用者が少なかったが10年ほど運用が続くにつれて利用が広がり、ほぼ全ての保護者が携帯電話のメールアドレスなどを登録するようになっていった。そして、このシステムが役に立つことになる。

 

学校からのメールを受信した保護者は、次々に学校に子どもを迎えに来た。16時30分頃にはほとんどの家庭に引き渡すことが出来た。両親とも帰宅困難となった最後の家庭に引き渡しが完了したのは翌朝5時であった。

 

メールの配信のすぐ後に学校での避難所開設が始まった。浦安市では、本震に続く強い余震によっての液状化が深刻化した。浦安中央病院から患者、医師、看護師の方々70名が避難してきた。毛布の配布、炊き出しなどをするうちにガスと水道が止まった。さまざまな対応を同時に実施しなくてはならなかった。

 

液状化被害で多くの家庭が被災した。富岡小学校の通学圏内の多くで1〜2週間にわたり断水し、復旧しても下水が使えない家庭も少なくなかった。道路はあちこちでデコボコになり、たくさんの電柱が傾いている。富岡交番は砂に埋まり取り壊しとなった。

 

富小のメールによる一斉連絡システムは、その後も役に立つことになる。まず、翌週からの全校休校をメールで伝える。富岡小学校のことだけでなく、隣の中学校に通う子どもを持つ保護者も多いことから、富岡中学校の卒業式等の予定も連絡した。いくつもの学校行事が変更、中止となり、それらのことをメールで伝え続けた。学校からのメールには保護者の皆さんを気遣う言葉が必ず添えられている。「体も疲れが溜まってきていることと思います。お互いに思いやりの言葉を掛け合いがんばりましょう」と、また「不安を抱えていらっしゃる方も多いと思います。できるだけ周りの人と話をしましょう。愚痴でもいい。心に抱えていることを吐き出しましょう」と。

 

4月以降は徐々に落ち着きを取り戻してきた。しかし道路などの復旧には何年もの年月がかかる。まだやることが決まったわけではないが「徒歩や自転車で通る時に注意が必要な場所や車いすでの通行は危険な場所がたくさんあるから、子どもたちと一緒に安全マップを作って学校ホームページで紹介をしたい」と原先生は語る。
学校からのメールは今でも週に1度、家庭に届けられている。

 

千葉県浦安市立富岡小学校(富小ネット)

http://www.tomisho.net/

 

(取材日:2012年2月8日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

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This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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