電気が無いなら電気を作れ

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発電機を掻き集め、軽油は自衛隊からも、そして、サーバを動かした

岩手県山田町は、三陸のリアス式海岸を利用した養殖の町。東日本大震災では、津波が堤防を越え、町内中心部へ押し寄せ、町役場は地下部分が浸水した。津波の後、町で火事が同時多発し、大規模火災となった。鎮火の翌日、町役場から町の中心部を見ると、壊滅した町が見えた。

 

山田町役場でICTを担当する企画財政課 船越海平氏は、震災当日、運転する車ごと津波に流されてしまった。大きなショックを受けた。無我夢中で泳いで逃げた。ケガをした。傷だらけだった。避難した場所でうずくまる。それでも周りに人が居ると温かい。1人で居ると怖かった。船越氏には、海に近いところで仕事をしている家族もいて、もう正直ダメだろうと覚悟した。家族の無事が確認できたのはだいぶ後になる。

 

傷が完治しないうちに町のICT担当としての奮闘が始まる。津波と大規模火災で、電気・電話・交通網が遮断された。特に電気の復旧のメドが立たないのは痛い。震災後スグに携帯電話も使えなくなり、誰とも連絡が取れなかった。昼は人命救助、夜はシステム対応。24時間リクエストがひっきりなしに来る。

 

何をしなくてはならないのか、分からなくなっていた。ところが課長の一言が、迷いを吹き飛ばし、自分に答えを与えてくれた。「待っていてはだめだ、電気が無いなら電気を作れ」。

 

電気が無ければ、人助けもできない。自衛隊は、自前の発電機を持ち込んでいた。そういうものが町役場にもあればいいなと感じていた。

 

3月14日、うまくたどり着けるのかどうか不安を抱きながら、車で盛岡の県庁へ向かった。ガソリンが無いので、親戚の車からガソリンを拝借した。県庁で山田町の惨状を報告するとともに、発電機が欲しいと申し出た。そして発電機を掻き集めた。どんな大きなものでも、どんな小さなものでも良いから。発電用の軽油は自衛隊の支援もあった。

 

なけなしの電気をどれにどう配分するか悩んだ。まず、蛍光灯へ。その余りをコンピュータなどに。配分に失敗して、住民サービスに必要なサーバがダウンすることもあった。

 

通信キャリアの回線網も壊滅的被害を受けたため、インターネットのアクセスが回復しない。携帯電話をパソコンにつないで、Webメールを使い、メール内容は紙に印刷して、当面をしのいだ。困難は次々にやってくる。プリンターの紙が無くなり、調達もできない。トナーも手に入らない。その時の判断で動くしかない、そういうことの連続だった。

 

通信手段が無い中、最も苦労したのは、安否確認であった。安否確認のための情報入手は人力でもできるが、情報発信ができない。住民が安否確認するためには、余震や津波を恐れながら町役場へ来る以外、方法は無かった。市町村単独での対応は難しいから、震災時点で立ち上がる安否確認の良い方法、賢い方法を国として編み出して欲しいと希望する。

 

「インターネットってスゴイと思った、インターネットを通じて国内外のみなさんから物心両面の支援いただき、それがあったおかげで、住民が自分の手で情報を入手できる手段を確保できた」と船越氏はいう。

 

6月末まで役場に泊まりっぱなしだった。

 

・岩手県山田町ホームページ

http://www.town.yamada.iwate.jp/

 ・公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」のホームページ(船越氏のセミナーでの発表資料)

http://www.city.sendai.jp/shisei/1201134_1984.html

 

(取材日:2012年2月2日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

 

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