「文語の苑」シンポジウムin北海道 について知っていることをぜひ教えてください

2015年10月17日 室蘭港の文学館「文語の苑」シンポジウムin北海道が開催された。9月に文学館を訪れた時、ポスターに三浦清宏氏の写真を見つけ漠然と”芥川賞作家・三浦氏による文学のお話なんだろう”と思い、ご高齢ながら故郷・室蘭にお越しくださるなら、ぜひお話を伺えれば・・・と整理券を頂き楽しみに当日を待った。

気持の良い秋晴れの土曜日。駐車場は満杯で入り口前にも人が並んでいる。札幌ナンバーの車もある。玄関にはいつもながら素敵なフラワーアレンジメントが出迎えてくれる。

会場である2階に上がるとフロアを埋め尽くすほどの人。原口益子女史とともに受付でパンフレットを頂き席に着く。

日本語が持つ美しいリズムと響きが凝縮されている文語。そこに息づく「言葉と日本の心」を北の大地から発信します

”文語?”原口女史と顔を見合わせ、あわててスマートフォンで検索。

日本においては、明治まで文学を含む書記言語はほぼ文語体と呼ばれる文体が使われていた。文語体は中古日本語平安時代の文語)から発達 (Wikipediaより引用)

難しそうな講演なんだろうか・・・場違いなところに来てしまったのでは?と不安になるなか、室蘭文学館の会会長・横田挺一氏の開会の挨拶で始まる。

お忙しい中いらっしゃられた青山剛市長より「市民、旅行者に大切にされ愛されている港の文学館で、このような催しが行われることは大変意味深く喜ばしい限りです」「皆さん、楽しまれてください」とご挨拶があり、会場を後にされた。

高橋はるみ知事より寄せられた「文語は芸術であり、我々が継承して後世に伝えていくべき素晴らしい日本の文化です」とのメッセージが読まれる。

 

三浦氏が壇上に上がり、「企画した時は100人も来るかな?という予想だったがこんなにたくさんの来場者に驚きと感謝でいっぱいです。」「文語の苑理事長・愛甲次郎氏が急病で来蘭できず残念」とのご挨拶の後、愛甲氏の経歴、スピリチュアルなことにお詳しいこと、修行のしすぎで腰を痛められた話などの軽妙なトークで会場の空気は一気に和み、「あれ?何だかとても大事なことを言うつもりだったのですが・・・忘れてしまいました」との言葉に柔らかな笑いが起こり 肩の力が少し抜けた。

 

第一部 「今なぜ文語か」

愛甲氏に代わって、文語の苑理事・仲紀久朗氏による講演。

・日本語は本来、話し言葉である口語書き言葉である文語というふたつの言語から成っていた。文語は現在の日本語の原型であり、源である。

・明治維新以降”言文一致運動”により文語はすたれ始め、明治22年には小説や新聞の社説までもが文語から口語へと変移していく。

・第二次世界大戦後は徹底した国語教育で、口語=標準語となり文語はますます影を潜めることとなる。

・しかしながら文語は世界的遺産であるという声が海外で仕事をしてきた人々からあがり、素晴らしい文化である文語を後世の日本人に伝え残そうと活動が始まった。

仲氏の丁寧でわかりやすい講義に会場の皆さんが聞き入っていた。少しずつ文語の世界観が見えてくる。

 

第二部 「北海道と文語の詩歌」~菅江真澄、松浦武四郎と三人の詩人たち~

文語の苑 副理事長・加藤淳平氏による講演。

石川啄木氏の「黒き箱」、宮沢賢治氏の「流氷(ザエ)」、北原白秋氏の「汐首岬」。文学には詳しくない人間でも知っている高名な作家、詩人が北海道で詠んだ歌をわかりやすい言葉でご紹介いただいた。続いて江戸時代の紀行家 菅江真澄・松浦武四郎 幕末画家、蠣崎波響氏の紀行文やアイヌの人々、文化との関わりの話などとても興味深く拝聴した。

休憩時間には、文学館の会の方々より、コーヒー・ソフトドリンク等の飲み物や手作りのお菓子・果物が振る舞われた。その心づくしのおもてなしに感謝しながら頂きひといき。

 

第三部 「文語の響きを歌にのせて」

ソプラノ歌手・中森芳恵さん ピアノ演奏・酒井由美子さんによるミニコンサート。文語で書かれた童謡。歌謡曲の歌唱。

故郷~春の小川~夏は来ぬ~紅葉~冬景色の四季の童謡メドレーからスタート。一気に文語が身近に感じられる。続いて「荒城の月」「椰子の実」「アニーローリー」。聞き覚えのある歌ばかりでなんだかうれしくなる。最後に大正3年の歌謡曲「ゴンドラの唄」が披露される。

いのち短し 恋せよ乙女

紅き唇 あせぬ間に

熱き血潮の 見えぬ間に 

明日の月日は ないものを

拍手喝采!!アンコールには 文学館ボランティアの小栗さん、ご友人の三浦さん、西村さんのコーラスとともに百人一首の36番、81番を歌った「夏の朝」を歌われ、情熱的なイタリア歌曲「イル・バーチョ(くちづけ)」でコンサートは締めくくられた。

 

 

第四部 パネルディスカッション「文語の楽しみ方」

三浦氏による司会進行で 壇上に上がったパネラーの方々の「文語の楽しみ方」を聞かせていただいた。

加藤淳平氏接する度に古い時代から現代まで続く日本文化の中に身を置ける・・・その感覚が何よりも楽しく嬉しい。万葉集などはまさに日本人でなければ味わえない日本語の美しさを感じることができる素晴らしい財産。文語を絶やすことなく、後世に残し伝えていきたい。

仲紀久朗氏:文語に関しては、京都に住んでいると利点が多い。寺院や地名など古典に出てくるものが今現在もすぐそばにある。清少納言「枕草子」~春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。~に使われる「ようよう」は現在も普通に使われている京ことば。生活の中に文語の流れが息づいている。

横田挺一氏ものごころ付いたときには百人一首を詠んだり取ったりしていた。小さなころは言葉で理解する前に絵柄で覚えていた。「百人一首のプロになりたい!」という夢を持っていた少年時代。青年期に「カルタじゃ飯は食えない・・・」と気づき断念したが、幼少期、文語の響きのなかで過ごせたことを幸せに思う。

佐藤慎吾氏(文化のまち室蘭会議):簡潔で多彩な表現が魅力。復古主義と言われるかもしれないが「文語」を教科として授業の時間を設けて欲しい。

三浦清宏氏:文語の美しさはなんといっても「リズム」「響き」だと思う。日本文化の九割を占めているのは文語で書かれているもの。決して失われてはいけない財産である。

 

熱心な文語好きの来場者からの質問コーナーも、三浦氏のユーモアあふれる話術と、パネラーの方の応答で楽しく聞かせていただいき、13時から始まった会は4時間を超える長丁場となったが、拍手喝采・大成功のもとに終了した。

立上り、人の流れが落ち着くのを待っていると、文学館の小林事務局長さんが櫻井孝氏に手招きしてくださり、三浦氏にご紹介していただいた。長時間の講演の後にもかかわらずお話を聞いてくださり感謝と感激で 胸がいっぱいに・・・

櫻井氏に後からうかがうと三浦先生から「櫻井先生(父)はお元気ですか?」と訊かれ恐縮していました(笑)でも「三浦先生のご紹介や作品のご紹介をLocalWikiで行ってもよろしいですか?」と訊ねたら優しい笑顔で「よろしいですよ」と仰っていただきました”

こうして櫻井・原口・中村の「初・文語の会」は終了。

 

帰り道。頭の中に 故・フランク永井の名曲が何度もながれる・・・

宵闇せまれば 悩みは果てなし
みだるる心に うつるは誰が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く

 

 

 

 

2015.10.27 撮影・文中村 麻貴

 


身体のどこかに流れる文語のリズム

文語でタイムトラベル

このシンポジウムに参加し基調講演の「今なぜ文語か」を聞いて忘れかけてた日本語には文語と口語があると言うのを思い出したちょっとお恥ずかしい参加者でした。
明治維新までは話し言葉は口語で読み書きする言葉は文語であったのが維新後は口語を標準語とする流れが起こった…
そう聞いた途端に頭の中ではその時代に飛んでいました。 読み書き出来ない人達も平等に人権を認められつつある流れの中で話し言葉が普段使う言葉になって行ったのは当然の事であったのかなぁ〜と見たこともない明治維新後の一般市民の生活を勝手に想い描いていました。 明治後期や大正には口語を好む作家が台頭してくるも、文語を大事にする作家もまだまだ活躍していた時代その頃の文壇ではどの様なことが起こっていたのかなどと勝手な想像をしていました 第二次世界大戦後には更に文語が排除の流れが強まったとの話… また私の頭の中では戦後の混乱期に意識は飛んで行ってしまいました。 日本語を精査して標準語を作ると言った作業ですが、本当は進駐軍下の教育行政で進駐軍には理解しづらい文語が排除されて行ってのではないかと勝手な想像をしていました。しかし公文書や法律文書などは文語であったのは口語をそのまま文章にすると抑揚などの表現が出来ないため意味を正しく伝えづらいと言う欠点が残るのに対して文語は文章中に装飾が出来て伝えようとする内容をその背景をも含めて伝えることが出来る… 現代のメールやSNSなどで口語による表現によって意図しないにもかかわらずトラブルになる現状を想像して、明治から大正・昭和の時代から現代に至るまでを一気に旅行した気分でした。

しかも文語の響きが心地よい旅のお供になって…

中学生の頃(蛇足かな)

受付の所で渡されたパンフレットをふとみると島崎藤村の「初戀」の解説がたまたま紹介されていましたが、これが私の中学生の頃の想い出が一気に甘酸っぱくも明瞭に思い出しました。七五調の美しいリズムと切なくも澄んだ心を表現されたこの作品は今でも口遊む事の出来るのと、ちょうど授業で習った同じ時期に発売された松山千春の「初恋」の曲で島崎藤村の「初戀」を唄う事が出来る事を発見して、こっそりギターで練習していました。

文語は難しいの?

文語は難しいと言われる事が多いし私もそう思っていました、確かに文語体で文章を書く事は今は出来ませんが、今回参加して幕末から明治の菅江真澄や松浦武四郎の室蘭との関わりで身近に文語と触れ、また宮澤賢治や北原白秋、石川啄木などの作品で文語の美しさや表現の豊かさリズミカルな文章を改めて気付かせていただけた事はとても良かったしもっと日本語の美しさや特有の表現に触れ更に日本文学や室蘭文学にはまってしまいそうな自分を感じました。

2015.10.27 追記 櫻井 孝