問屋の坂 について知っていることをぜひ教えてください

2015/4/21 撮影:Takashi

 

http://www.city.muroran.lg.jp/main/org1400/documents/16_03-11saka.pdf
以下、リンクした室蘭市の資料を引用

 

「石垣」は当時の繁栄の証し

問屋の坂(または産物の坂)

(海岸町日本一の坂から200m祝津より)

 明治25年(1892)、輪西~岩見沢間に北海道炭砿鉄道会社(以下北炭)により鉄道が敷かれると、室蘭は石炭積出港として大きく発展しました。北炭の石炭荷役を一手に請け負ったのが佐々木商店(ヤママルイチ)の佐々木市造。その繁栄ぶりは城壁にも似た石垣(一部改修)が物語っています

 明治39年(1904)、有珠の石を運び、京都から石垣職人を連れてきて作らせたもので、一度組あげてから縁起が悪いと全部崩して組み直したそうです。今はありませんが、石垣の上には、敷地500坪に厩(うまや)と、くぎを一本も使わない宮造りの平屋建ての豪邸がありました。明治31年(1898)に海産物卸問屋の室蘭産物会社(道道室蘭港線沿い、問屋の坂手前の3件目辺り)が創業されると、その石垣のある坂は人であふれ「問屋の坂」あるいは「産物の坂」と呼ばれるようになりました。

 石炭産業最盛期のころの港は、まだ明けそめぬ星空の帳を破るように、石炭列車が夕張から到着し、入江埠頭に数百輌の「セキ」印の貨車が止まっていました。その先には貯炭場の山と、うなるトランスポーターがあり、岸壁では荷揚人夫がパイスケ(竹製の運搬具)を肩に調子をとりながら歩み板を渡って艀(はしけ)を往復していました。

 

◆文学作品に登場する坂

朴パク重チェン鎬ホ『会期』より

「坂は約百メートルの距離だ。けっこうな勾配なので、爪先に重心を取って歩かないと、足払いをかけられたときのように、背中から叩きつけられることがある。坂道の片側は石垣になっていて、風雪に耐えた黒々とした荒削りの四角い石の層が坂を降り切ったところでは、十メートルを超す高さになっている。」
 


2015/4/21 撮影:Takashi2015/4/21 撮影:Takashi2015/4/21 撮影:Takashi

 


車を運転するようになったらこの坂を登ろう

小学生の頃から父の車でこの坂を登り沢町のお寺へお世話になった恩人のお参りに行っていました。
冬は通行止めになるこの坂を勢いつけて登る車…なぜかカッコいいなぁって思っていました。
免許取得後30年経ちましたが今でも通る時には少年に戻ったようにワクワクします。

Takashi


 

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