東陽軒跡地 について知っていることをぜひ教えてください。

 

葉山の小説「海に生くる人々」に登場する怪我をした水夫を担いで病院に連れてったあと、男達が甘いものを食べて落ち着いた「東洋軒」のモデルとなった東陽軒の跡地。

http://www.city.muroran.lg.jp/main/org1400/documents/14_03-09bungakuhi.pdf

「平成13年6月まで営業していた菓子屋の東陽軒(小説では東洋軒)」とある。

 

 

以下「海に生くる人々」葉山嘉樹から引用

働く仲間と生きる

沈没するかもしれないという大時化の冬の海上で作業中に重症を負い、立ち上がることの出来なくなった若い船員は、横浜に入港したあとも暗い船倉に放置され る。船長は家族に会いに帰るのに忙しかったのだ。痛みに耐えて脂汗を流しながら一週間後、室蘭の病院に行けると希望を抱いていたが、自分の怪我は忘れ去ら れ、船長が登別の愛人に会いに行ったと聞いて悲嘆にくれる。みかねた水夫達が、なけなしの給金のなかから病院代を出し合って、力自慢の二人が怪我人を背 負って冬の凍った坂道を病院まで登ったのである。

治療を終えての帰り道でさえ、真冬に汗が滴り落ちるほどの重労働であった。そんな彼らの心と身体の飢えを満たしてくれたのは、横浜や神戸の菓子屋に勝ると も劣らない美味と名高い、東洋軒の甘菓子なのであった。汗だくの屈強な水夫がふたりと、脚の包帯を血で赤くそめている若者が、菓子屋で和む姿を100年前 の著者でさえ「珍無類」とおもしろい表現で描写している。

「海に生くる人々」葉山嘉樹

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