早稲田大学校歌のトリビア (1)「都の西北」は曲名ではない?! について知っていることをぜひ教えてください

 

facebook稲門クラブの鈴木克己さんの2021/06/27の投稿を許可をいただいて転載させていただきます。(転載する場合ご連絡ください。)


早稲田の校歌は「都の西北」という曲だと思っている人が学外にいるのは致し方ないところですが、肝心の現役生や校友でも誤解している人がかなりいるらしく、稲門会の印刷物に歌詞を掲載するのに「早稲田大学校歌《都の西北》」と記載しているのを見かけたことがあります。

無粋ですが、本学の校歌の正式な名称は「早稲田大学校歌」です。タイトルはもとより副題にも「都の西北」という独立した呼び名はありません。作詞者の相馬御風も校歌の揮毫には「早稲田大学校歌」とのみ記しています。

オペラのアリアで歌詞の冒頭をそのまま曲名として通称することはよくあることですが、「都の西北」という表現は歌詞の歌い出しとしてあまりにも世に知られており、大学近辺の企業や商店に「西北」の名を冠したところが昔からあるばかりでなく、週刊誌などのマスコミが早稲田を取り上げる際、「都の西北を揺るがす…」のように、「都の西北」が早稲田大学のメタファーないし代名詞として広く滲透しているための副作用みたいなものと言えなくもないところです。

それだけ愛称として親しまれているのですから、「最後に参加者全員で『都の西北』を歌ってお開きとしました」みたいな使い方に目くじらを立てる必要もないと思いますが、母校愛に溢れる校友なら正しくは「早稲田大学校歌」なのだというところは理解しておいてもよいでしょう。

なお、「西北」という使い方を「早稲田大学百年史」では、本来なら「西北西」とすべきところを字数の関係で削ったのではないかと記載していますが、古くは万葉集の題詞にも「遷任旧宅西北隅桜樹」という下りがあるそうで、「西北」そのものが早稲田出自の造語というわけではないようです。

また、本学が新キャンパスを幕張ではなく所沢に選んだのは「都の西北」にこだわったからだ…とまことしやかに語られるくらい歌詞の重みはあるようですが、早稲田の位置関係をこのように意識させたのは御風一人の創作ではなく、校歌誕生の5年前に坪内逍遥が作詞した本学初のカレッジ・ソングに「煌煌五千の炬火は城西の空を焼き今ぞ立ち出づる早稲田の健児隊」との一節にインスピレーションを得たようです。以上ご参考までに。

早稲田大学校歌のトリビア (2)songとanthem

早稲田大学校歌のトリビア


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