鶉マニアック〜鶉村は鳥のウズラではないんじゃないか?」で紹介した『元禄十三年檜山絵図』を紹介します。この資料は、昭和288月に行われた「檜山開発記念祭」というイベント会場に展示されていたもので、その後所在がわからなくなっています。幸い、『上ノ国町史』の編著者である松崎岩穂氏が書き写した図が『上ノ国町史』(p471)に掲載されおり、私たちもこの図の写しを見ることができます。

この図には厚沢部川上流に「ウツラ越」という地名がみえており、元禄十三年(1700)時点で「ウツラ」という地名が厚沢部川流域にあったことが確認できることはすでに紹介したところです。

 

 

上図は『続上ノ国町史』掲載の「元禄十三年檜山絵図」を再トレースしたものです。よりはっきり見えるPDFファイルはこちら。檜山絵図.pdf

 

描かれている領域は厚沢部川南岸から上ノ国町の天ノ川北岸までです。この領域が元禄十三年時点で把握されていたヒノキアスナロ山の範囲なのでしょう。おおむね現在のヒノキアスナロの分布と重なります。

図の中段左端に「ウツラ越」という注記が見られるのが、「ウズラ」の初出と思われます。ヒノキアスナロ山の絵図なので鶉村方面は完全にスルーされていますが、現在の厚沢部町字当路あたりから鶉川流域へ抜けるルートを示したものと思われます。

その他にも、この図には現在までのこる地名がいくつも見られ、現在の地名や林道と照合することが可能です。興味のある方は研究してみてください。