下乗石建立跡
現在残る下乗石①
現在残る下乗石②

慈尊院の正門入り口手前左に卒塔婆型の下乗石の上部が建てられている。

ただし残念ながら、下乗の「乗」の文字が土中に埋まっています。

 

そもそも下乗石は、ここから馬や駕籠をおりて参拝する目印であったが、

高野山の場合ここが結界であって平安時代は、ここで貴族も侍も駕籠や馬を降りて高野山に参詣した記録があります。

元々は紀伊名所図会によると定海が保延2年(1136年)に建立し、

 

今の場所には天文9年(1540年)の大洪水で破損したため上部のみ移し残ったと考えられる。

藤原道長も白河上皇や後宇多上皇も徒歩で高野山に参詣したと考えられる。

 

  ただ江戸時代には、結界も山上近くまで変化したと思われます。