銅鐘
もともと本瑞寺にあった鐘楼堂の鐘は、三浦道寸が養父・時高の供養のために寄進したものだったが、天明の飢饉の際に売却したといわれていた。
1981年当時の鐘楼堂の鐘には「康永三年(1344)閏二月武州隆保寺」の銘があり、明治の廃仏棄釈の折、小田原の松原神社の鐘が出物として売り出されたものを、村人が金を出しあって買い求めたものといわれていた(1)。
『風土記稿』の小田原宿・宮前町の松原明神社の伝によると、当時の鐘楼には古い鐘が掛けられていて、銘文は漫刓して(ぼんやりと削られて)いてほとんど読むことが出来ず、「武州保隆保寺、奉冶鋳、景弘沙弥性仏、大檀那小野直重、康永三年(1344)閏二月時正第一日」という数十字だけを読み取ることが出来る状態だった(2)。
本瑞寺の銅鐘は、1969年(昭和44)に「駒の爪も低く、鎌倉鐘としての姿を残すもの」として、県の文化財に指定されている(1)(3)。
参考資料
- 松浦豊『三浦半島の古刹めぐり』昭和書院、1981、107-108頁、三浦(三崎方面) 本端(瑞)寺
- 『風土記稿』小田原宿 上 宮前町 松原明神社
- 神奈川県『文化財目録』令和4年(2022)5月1日現在、43頁