中央公民館(ちゅうおうこうみんかん、1950年 - 2007年)、小田原市中央公民館(おだわらし―)は、かつて本町荻窪にあった市立の公民館生涯学習センターけやきの前身。

沿革

中央公民館(1950-1963)1949年(昭和24)6月、社会教育法施行(2)

1950年(昭和25)12月14日、幸1-26に中央公民館設立(1)(2)(4)。同使用条例公布、同運営審議委員設置(3:11)。市役所民生部教育課の3つの係の係長のうち1人が公民館主事となり、館長は民生部長・曽我尚夫が兼務した(3:11)。公民館の施設自体が大ホール主体だったため、公民館の成人学校は市立第4中学校(1990年当時のスポーツ会館所在地)を主会場として開校していた(3:11)

1952年(昭和27)に教育委員会が発足し、初代教育長には曽我が就任した(中央公民館長と兼務)(3:11)

1959年(昭和34)中央公民館主催の巡回映画教室開始(2)。同年、各公民館に社会学級を委託開設(2)

1962年(昭和37)中央公民館に職業青年学級として理容青年学級が開設された(2)

同年7月に市民会館大ホールが完成し、中央公民館は市民会館増築のため取り壊されることになった(3:12)

1963年(昭和38)12月、新名裁縫女学校の校舎の一部を改造し、1990年当時の裁判所検察庁の間の辺りに移築して、中央公民館として使用することになった(3:12)

中央公民館(1964-1967)1964年(昭和39)5月、中央公民館再会館(3:12)。2階部分には裁縫女学校の教室がそのまま使用されたため、古びた感じの建物だった(3:12)。理容青年学級は移転後も続けられた(1980・昭和55年まで)(3:12)

中央公民館(1968-1980)1968年(昭和43)2月、検察庁の改築に伴い、中央公民館は市立本町小学校の1部の空き教室を借用することになった(3:12)

1971年(昭和46)から、市民教養大学講座が開設され、著名な講師を招聘したことで人気を博したした(3:12)

1974年(昭和49)7月、社会教育委員会議「小田原市公民館活動の振興について」が公民館の中央館・分館の組織を改組して各館を独立館とすること、職員の兼務を止め、専任の職員を置くべきこと、および公民館の新設を答申(3:13)

1980年(昭和55)12月、荻窪の市役所地内に中央公民館が新築され、翌1981年(昭和56)1月6日に開館(3:13)。このとき初めて専任の公民館長が任命された(3:13)

2007年(平成19)4月、生涯学習センターけやきに改組(5)

所在地

開館・移転年月 閉館 住所 備考 出典
1950・S25年12月 1963・S38年12月 幸1-26 2000年当時の市民会館所在地 (4)
1964・S39年5月 NA 本町1-7-5 旧裁判所地内 (2)(4)
1968・S43年2月 NA NA 本町小学校の一部 (4)
1981・S56年1月 (2007・H19年3月) 荻窪300 (1)

 略号:S 昭和 H 平成

面積・建物

1993年当時、面積 6,478m2、RC造4階建。

1966年当時、建坪 122.0坪(約403m2)、木造2階建(2)

参考資料

  1. 小田原市公民館連絡協議会『公民館 市公連40年のあゆみ』同左、1993・平成5年2月、77-82頁
  2. 小田原市中央公民館『小田原の公民館』小田原市教育委員会、1966・昭和41年3月、5,13-15,36-38頁
  3. 40周年記念誌編集委員会『未来へ 私たちの公民館 小田原市中央公民館40周年記念誌』小田原市教育委員会 中央公民館、1990年12月
  4. 中央公民館50周年記念誌編集委員会『21世紀へ 私たちの公民館 小田原市中央公民館50周年記念誌(1990-1999)10年の歩み』小田原市教育委員会、2000年12月、85頁
  5. 『けやき』が開館! 中央公民館は生涯学習センターに」『広報小田原』No.936、小田原市、2007年4月1日号、7頁