大久保 忠顕(おおくぼ ただあき、1755年 - 没年不詳)は、江戸中期の小田原藩主(在任:明和6・1769 - 寛政8・1796)。

経歴

宝暦5年(1755)の生まれ(1)。父は大久保忠由、母は小川氏(1)

父・忠由の死去に伴い、明和6年(1769)11月24日に領地を相続(1)

安永3年(1774)10月15日、10代将軍・徳川家治にお目見え(1)。同年12月18日、従五位下 加賀守に叙任(1)

安永5年(1776)2月22日、領地に赴任(1)

安永6年(1777)12月、駿河国駿東郡の所領1千石余を伊豆国加茂郡の内に移される(1)

天明元年(1781)4月、関東の河川の普請を助け勤めたとして、家臣と共に恩賞を受ける(1)

天明2年(1782)6月、駿河国駿東郡の領地を伊豆国加茂郡の内に移される(1)

天明3年(1783)1月23日、領地で地震が発生したため、金5千両を貸与される(1)

同年5月、下野国芳賀郡1万8千石余の地を相模国足柄上・下郡、駿河国駿東、武蔵国多摩、葛飾、常陸国河内、真壁の7郡のうちに移される(1)

天明5年(1785)12月、伊豆国加茂郡の領地を改め、同国君沢、田方、駿河国富士、駿東の4郡のうちに7,600石余を下賜される(1)

天明8年(1788)5月6日、小堀和泉守政方に罪科があって、忠顕に召し預けられる(1)

寛政5年(1793)12月4日、箱根山の図を作成して上呈したとして、担当した家臣に恩賞が下される(1)

寛政6年(1794)7月18日、召し預けになっていた小堀政方を森右兵衛佐忠賛に預ける(1)

寛政8年(1796)1月18日に致仕(1)。領地は子の大久保忠真が継承した(2)

参考資料

  1. 堀田正敦ほか『寛政重修諸家譜』巻第707 大久保 宇都宮支流(藤原氏道兼流) 続群書類従完成会版、1965、巻第11、387頁、(大久保)忠顕
  2. 387頁、(大久保)忠真