星崎繁次郎(ほしざきしげじろう、1863年 - 没年不詳)
経歴
文久3年(1863)10月、矢作の生まれ(1)。
1895年(明治28)6月中旬に矢作からの米国移民団の第1班に参加して渡米し、同年7月上旬にサンフランシスコに到着(1)(2:36)。はじめサクラメントのリーダー氏の梨園で働き、のちワッソンビル、フレスノ地方で働いた(1)。
1897年(明治30)、リバーサイドの農園に入る(1)。この頃までに相当の蓄財が出来ていた(1)。
1900年(明治33)に同市内で食料品・雑貨商を開店(1)。数年後に労働者の人材斡旋業も兼営するようになった(1)。事業は好調だった(1)。
1901年秋、第2班で渡米していた矢作出身の星崎定五郎に、自身が経営するリバーサイドの農園と店舗での仕事を斡旋した(2:63-65)。
1912年(明治45)、廃業してニューホールへ移住し、野菜園50エーカーを現金で借地して2年間経営したが、思ったほど収益は上がらなかった(1)。
1914年(大正3)2月、ロサンゼルスに出て、星崎定五郎と共同でサンセットホテル(Sunset Hotel)を経営したが、経営は順調に行かなかった(1)。
参考資料
- 「星崎繁次郎氏」露木惣蔵『在米神奈川県人』在米神奈川県人社、1915・大正4、145-146頁
- 星崎定五郎(述)石井富之助(編著)『移民の先駆者 星崎定五郎』星崎定五郎翁伝記刊行会、1959