稲葉 正勝(いなば まさかつ、1597年 - 1634年)は、江戸前期の小田原藩主(在任:寛永9・1632 - 寛永11・1634)。正勝の母は、徳川家光の乳母として知られる春日の局で、正勝は幼少時から家光の側近にあった(1:11)

寛永9年(1632)、36歳で下野国真岡城主(4万石)から小田原城主となった(禄高8万5千石)(1:11)

寛永11年(1634)に死去、享年38(1:11)。その子・稲葉正則が12歳で小田原城主となった(1:11)

参考資料

  1. 市川幸雄「昔の小田原と西北4部落の成立」富水西北史談会 編『ききがたり 富水西北の歴史 第1巻』富水西北公民館、1984・昭和59、10-16頁

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