1859年 について知っていることをぜひ教えてください

早山清太郎が篠路で稲作に成功

札幌市北区の昭和50年当時の広報さっぽろ
1852(嘉永5)年 早山清太郎が郷里の福島県西白河郡から北海道に渡る。
1859(安政6)年 篠路に入地。この地方での産米に感激した函館奉行は、清太郎に賞金を与えた。

 

1月2日、エドウイン・ダンを継いで、北海道酪農の礎を作った町村金彌の誕生

越後国、現在の福井県南条郡武生。父は織之亟で越前藩第一家老本多家の家臣。東京で奉公しながら東京英語学校で学んだ。東大工学部のの前身工部大学に合格するも、官費生の選に漏れた。札幌農学校が東京工部学校の合格者を無試験で官費生にしたため、札幌農学校の二期生になる。生家が裕福でなかったために、優秀な金彌が札幌に赴いたことになる。金彌19歳。同期に宮部金吾、太田稲造(のちの新戸部稲造)、内村鑑三、広井勇、南鷹次郎、諏訪鹿蔵。(町村敬貴伝pp.32-33)

 

 

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