早稲田大学校歌のトリビア (12)東儀鉄笛と東儀秀樹さん について知っていることをぜひ教えてください

facebook稲門クラブの鈴木克己さんの2021/09/12の投稿を許可をいただいて転載させていただきます。(転載する場合ご連絡ください。)


インターネットに流れている誤った情報の一つに「東儀鉄笛の孫が東儀秀樹」というのがあります。困ったことに二人とも専門は篳篥(ひちりき)なので、さぞかし先祖か子孫なんだろうと思いたくなるのも無理からぬところですが、十数年ほど前に校歌研究会のツテで鉄笛のお孫さん(女性)にお目にかかる機会があり、家系図も見せて頂いたのですが、同じ東儀姓でも直接の親類ではないとのこと。もっともお兄さんが宮内庁式部職楽部に奉職されていたので、同僚として秀樹さんとは顔見知りだったそうです。

女優の貫地谷しほりと同じ貫地谷という家は全国に16軒しかなくて、全部親戚だと報道されたことがありますが、楽家の東儀家は聖徳太子の時代に渡来した秦河勝が始祖とされ、奈良時代に雅楽を家業として東儀を名乗り始めたとのこと。それだけ長く続けば藤原氏みたいにいくつもの家系が生まれて、幕末には13を数えたそうです。

鉄笛の東儀家は元々都の伶人であった一方、秀樹さんの東儀家は長く江戸にいて徳川幕府に仕えていた3家の一つだったようです。江戸時代には双方の家の間で嫁入り・嫁取りもあったので、全く関係が無かったわけでもないとのこと。

ちなみに、武家の徳川が公家の真似をしていたのかと意外に思われるかもしれません。イメージ的には雅楽は宮中で専らやっていたように思われがちですが、奈良の春日大社など古くからあった各地の神社でも「神楽」を演奏するプレーヤーが職業として存在していてそれぞれ流派があり、江戸幕府でも儀式の際に雅楽を演奏する職員がいたとのことです。2008年に放映された大河ドラマ「篤姫」(東儀秀樹さんが孝明天皇を演じていた)の中で、病床にある勧行院(和宮の母親)を慰めるために大奥で雅楽が演奏されるシーンが出てきますが、あれはわざわざ京都から楽師を呼び寄せたわけじゃなくて元々千代田の城に詰めていた幕臣にやらせたことになります。

なお、鉄笛はペン・ネーム兼芸名(晩年は俳優としても活躍した。松井須磨子の芝居や映画では須磨子と島村抱月の仲を嫉妬する役で描かれているが、これは創作とのこと)で、東儀家に代々伝わっていた鉄製の笛にちなんで名乗った由。本名は季治(すえはる)。父・季芳(すえよし)も篳篥の雅楽家で、式部職楽部の同僚と一緒にドイツ人の先生からピアノを習うなど、明治の早い時期に西洋音楽に接したパイオニアでもありました。唱歌の作曲も多く、海軍儀礼歌「海ゆかば」もこの人の作品です(信時潔の同名の曲とは別。「軍艦行進曲」の中間部に旋律が引用されている)。器用にピアノを弾きこなしたという鉄笛の血筋は父譲り。西洋音楽に並々ならぬ興味を抱いた親子のお陰で早稲田大学校歌が生まれたことは間違いなさそうです。

早稲田大学校歌のトリビア (11)「理想の影は」は主語か? ≪早稲田大学校歌のトリビア (12)≫ 早稲田大学校歌のトリビア (13)誤報と虚報

早稲田大学校歌のトリビア


FrontPageに戻る