韶陽以遠(しょうよういおん(1))は、曹洞宗の僧侶(1)。最乗寺2世(1)。
俗姓・生国は不詳(1)。
出家後、(最乗寺開山)了庵慧明の弟子となり、「心地」を発明した(1)。
のち了庵の下を退去し、永沢寺に止住した(1)。
応永の頃(1394-1428)、最乗寺2世となった(1)。
『日域洞上諸祖伝』には「(了庵の)嗣法五人曰く韶陽曰大陽曰大綱曰無極曰尼慧春」とある(3)。
延宝6年(1678)10月に人見友玄が記した板橋・香林寺の寺記によると、同寺は「紹陽」の石室の旧跡に創建されたといい、本堂裏手(西側)の石室は、応永年間(1394-1427)に最乗寺2世・「紹陽和尚」が座禅をした旧跡と伝えられていた(2)。『風土記稿』は、「紹陽」は韶陽のことと推測している(2)。
没年不詳(1)。
参考資料
- 稲村坦元『曹洞宗人名辞典』国書刊行会、1977、p.5
- 『風土記稿』板橋村 香林寺
- 湛元『日域洞上諸祖伝』国立公文書館内閣文庫本 請求番号192-0482、元禄7年(1694)刊、上巻 コマ54